2011年12月18日日曜日
2011年12月17日土曜日
K-POP被災地慰問の一方で韓国日本大使館前に慰安婦像(2011217)
韓国の国会議員のグループが日本の国旗を踏みつけている様子をフェイスブックで知った。日本の自民党議員3名が竹島問題で韓国を訪問しようとしたとき入国を断られたことは数ヶ月前のことであった。そのとき一部の韓国人が三つの棺にその議員たち一人ひとりの顔を大写しにした写真をそれぞれ貼りつけ、数人の男たちがそれぞれその棺を抱きかかえ、韓国の入国管理当局の職員たちに非常に激しく抗議している様子もフェイスブックで知った。また、「竹島は韓国領である」と大きな横看板をロスアンジェルスのフリーウエイの脇に掲げてあったり、禅や剣道や茶道などは韓国に起源があると宣伝したり、幼稚園児達に「竹島は韓国領」という趣旨の唱歌を合唱させたりしている様子も知った。
これらのニュースはテレビや新聞では報道されていない。政府による報道規制が行われているのではないかと疑う。旧日本が買い取って保管していた韓国の古文書を政府はわざわざ「返還」という形で韓国に渡した。その一方で政府は対馬の宗家の古文書(対馬宗家文書)を日本に返還するよう韓国に要求していない。韓国側もそれを返すつもりはない。
フジテレビは毎日午後韓流ドラマや音楽などを放送し続け、これに対して抗議する大きなデモが何度か行われたがこのことを日本のどのメディアも取り上げなかった。背後に韓国資本が入っている大手広告会社電通があり、フジテレビ自体にも韓国資本が3割近く入っているということで、実際の状況から放送法違反であるという。デモ参加者は皆日の丸の国旗を掲げ粛々と抗議行動を行っていた。この様子は新聞やテレビでは報道されていないので多くの国民はこの事実を知らずにいる。
数多くの地方自治体の議会では在日韓国・北朝鮮人が地方自治に参加できるようにする議決をしている(人権擁護法案関連)。メディアや地方自治では韓国による日本侵略がじわじわと行われている状況である。フェイスブックなどでその実態を知った。
野田首相は自らを「右翼」というが、民主党員の中には帰化人も含め親韓・親中派が多く、労組や日教組の支援を受けている議員も多い。最大勢力である小沢グループにはそういった連中が多いのではないかと思う。
小沢氏や鳩山氏や菅氏らが国賊に見えてくる。元反日活動家やマルチ商売の人間をこともあろうに国家公安委員長に据えなければならないような党内事情があるのだろう。戦前ならば軍が立ち上がりクーデターを起こしかねないような状況である。
野田首相は党内に左右両派や複雑な勢力を抱え「安全運転」に徹するしかないのだろう。日本の国の為には彼が行使できる「解散権」を行使して、がらがらぽんと政界再編の起爆材として自らの身を捨てたほうが、彼にとって後世に名誉ある名を残すことになるに違いないと思うが、それは彼の信念次第である。「右翼」と自称する彼に期待するしかない。
2011年12月16日金曜日
2011年12月15日木曜日
「武」というものに目を背けるな!(20111215)
もう一点は、「生き残る」という言葉が単刀直入すぎるかもしれないが、どの国も生き残ることを目指している。現実の世界ではどの国も自立した国として他国との間で生存競争を行っている。そういう現実の世界で日本が生き残る道は何だろうか?
①今直ちに国家総動員してアメリカを凌ぐ軍事力を保有し、自ら一国だけの力で我が国の国体を維持し、領土領空領海・排他的経済水域を保全し、繁栄と平和を実現するのか?
②アメリカと軍事同盟してお互いに防衛するのか?(現状では集団的自衛権は行使できないため、攻撃されているアメリカ軍を助けることはできない。憲法改正は絶対必要。)
③中国の主張を受け入れ、奄美・沖縄・八重山・尖閣を中国の支配に委ねるのか?
「商道」は交易を盛んにし、お互い富を得る道である。この道なしでは日本の繁栄はないだろう。お互いの国民同士の文化的交流も限られ相互理解も進まないだろう。しかしそれだけでは国は守れない。軍事力を行使する「政道」と上記「商道」とは車の両輪である。
もし中国が国家意思として掲げる(共産党綱領に書いている)「奄美州・沖縄州・八重山州」などを削除し、尖閣は日本の領土であることを認め、東シナ海油田で合意を実行し、不法な海洋調査をやめるならば、日本は中国と仲良くなれるだろう。日中間の貿易量は日本から中国への輸出が1090億ドルに対して中国から日本への輸入は960億ドル(2009年財務省貿易統計)であり、輸出入量はほぼ均衡している。日本と中国の間の「商道」における一衣帯水の関係は今後ますます深まるだろう。しかしだからと言って「政道」までもそうなると考えるのは大いに間違っている。なお、アメリカとの貿易量は日本からの輸出が1300億ドルに対し輸入が540億ドルとかなり不均衡である。
竹島も然りで、もし韓国が竹島の実効支配を放棄するなら日韓はもっと友好的になれると思う。しかしこれも「政道」において日韓両国の間には根強い不信感がある。中国も韓国も「政道」において日本を敵視し、幼児の段階から反日思想教育を行っている。
明治の軍人たちは日本の生き残りのため戦い、血を流した。平成の軍人(制度的に存在しないので、ここでは仮に自衛官)は、国家観のない政治家たちの下で歯ぎしりしていると思う。それでも自衛隊はアメリカ軍との連携の必要性を認識し、日米協同軍事訓練に励んでいる。先の3.11大災害発生時、アメリカ軍は直ちに「トモダチ」作戦を展開した。
私は日本の安全と独立を維持するためには、強固な日米軍事同盟しかないと考えている。その一方で、日中・日韓軍人(日本は自衛官)同志の交流を行い、相互理解と不測の事態の防止を行うようにすることが賢明なやり方であると考えている。
日本人は現実をよく見つめるべきである。国が亡ぶことを先人たちは決して望んでいない筈である。現実の中で最善の選択はなにか、この点で日本人の間で意見が分かれている。
その根本原因は、戦後日本人が「武」というものを忌み嫌い、遠ざけていたためである。「武」なくして日本は世界の中で生き残って行けない。「武」なくして日本は奄美・沖縄・八重山・尖閣各列島を中国の侵略から守ることはできない。また日本単独の「武」力ではおぼつかない。強固な日米軍事同盟は絶対必要である。中国はそれを嫌っている。
2011年12月14日水曜日
TPP反対論者にもの申す(20111214)
日本人は戦後教育で「武」というものを教えられなかった。私などはたまたま制服で当時国鉄四谷駅出札窓口の男からあからさまに何度も「税金ドロボー」とののしられたことがあった。その一方で八王子近くのバス停である梅雨の日制服雨着姿でバスを待っているとき、ある中年の女性からそっと傘を差し出されて感激したこともあった。
戦後間もなく出生した世代の人々がこの日本国を富ませるためがむしゃらに働いた。しかしその一方でそれらの人々は旧日本が東アジア・東南アジア諸国を侵略し、女性を慰安婦に駆り立て、住民を虐殺し、沖縄住民に集団自決を強制したという嘘の史実を教えこまれ、幕末以降日本が生き残るため白人国家と必死に戦ってきたことが悪い事であったと思い込まされてきた。
鳩山元首相は戦後レジームからの脱却という切り口で「アジア共同体」構想を提唱し、日本・中国・韓国を中枢とした政治・経済・安全保障の統合をめざした。小沢元代表は配下の国会議員140名を引き連れ中国胡錦濤国家主席に拝謁させ、宮内庁をどやして天皇陛下に慣例を破って習近平次期国家主席候補との会見を要求し実現させた。この二人の国家観には日本の精神の片りんさえもない。私はブログで実名をあげこの御二方や菅総理を何度か非難した。
中曽根大勲位(閣下)も天皇陛下と習近平次期国家主席候補との会見を勧めたというから彼の国家観・歴史観には疑問がある。主計中尉だというから秀才であっても間違った思想をいだいているのではないかと思わざるを得ない。
TPPに関して言えば、アメリカはアジア・太平洋における自国の権益を守り、自国への富を集めるためだけに行動していると思った方が良いであろう。中国の海軍力・空軍力の不透明な増強を警戒し、「攻撃は最大の防御」として日本・韓国・東南アジア・大洋州諸国を巻き込み中国包囲網を形成しようとしていることは間違いないだろう。
「武」の精神をどこかに押しやり、アメリカの軍事力に依存し、「良いところ取り」をして要領よく生きてゆこうとしている日本を、アメリカは相当なめてかかっていることは間違いないだろう。
アメリカは現在でも未来でも軍事超大国であり続けるだろう。日本はアメリカの底力を見くびって、アメリカのワナに誘われてハワイ意奇襲攻撃をかけた。アメリカは「メイン号を忘れるな」「アラモ砦を忘れるな」といつも「少数の犠牲で多数の満足を得る」という、ある意味では合理主義のやり方で自国民をあえて犠牲にし、これまで富国強兵を進めてきた。「真珠湾を忘れるな」は今も続いている。「9.11」だって「イラク」だって、ひょっとすると同じ手口かもしれない。背後に「WASP(白人・アングロサクソン・プロテスタント)」とユダヤ商人が糸を操っているかもしれない。
長崎原爆投下の悲惨な結果を世界の目から逸らすためアメリカは何をしたか。長崎市長をアメリカに呼び歓待し、アメリカの原爆誤爆で多数キリスト教徒が死んだ事実を隠し通した。ベトナムのソンミ事件もうやむやに葬った。戦争をすれば国が富む、という冷酷な計算もしている筈である。事実そうだろう。
そういう弱肉強食の実態に日本人はしっかり目を向け、軍備を増強し核武装し、政府は国民に皇国史観歴史教育をしっかり行い、衆参両院で「教育勅語」と「旧宮家」の復活を再可決し、「東京裁判は誤っていた」とアメリカに声明文を出させることを決議し、日本はアメリカに対してしっかりものを申すことができるようにならねばならぬ。「大帝国もいつかは滅びる」という史実のとおり、強大なアメリカでもいつかは滅びる可能性はある。そのとき日本は友邦とタッグを組みアメリカにとって代わらねばならぬ。その準備は常に怠ってはなららない。ただその「友邦」には「性格」が悪い中国や多分韓国も含めるわけにはゆかない。
そうすれば日本はアメリカから一目も二目も置かれ、日米軍事同盟は一層強固なものになるだろう。
しかし現状ではTPPに反対しても日本再生のため行動しようとはしてない連中ばかりである。TPP反対論者がこぞって「憲法改正」「核武装」「駆逐艦・空母・爆撃機・戦闘機・ミサイル装備」「尖閣・石垣に自衛隊配置」「集団的自衛(日米双務)」「教育勅語復活」「女系天皇絶対反対」「旧宮家復活」などと叫ぶなら話は分かる。
アメリカから野田総理の訪米が「尊厳と名誉をもって迎えられる」とわざわざ言われるような現状は日本人としてあまりにも情けない。
現状の日本はあまりにも悲しい。そういう状態に目を向けず、ただ「TPP反対」と国民を扇動する識者・評論家に私は腹が立っている。
2011年12月13日火曜日
中国・韓国がそれぞれの国の「政道」として、日本の弱体化を目指すのは至極当然なことである。いずれの国家も生き残るため最善の選択を目指す。日本が憲法前文にあるような「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」安全と生存を保持しようとすることは理想である。しかし現実は相も変らぬ弱肉強食の世界が続いている。
2011年12月12日月曜日
「渡部昇一『日本史』を読んで日本人はどうあるべきか考える」は韓国併合までをもってひとまず終結させる。(20111212)
“日露戦争の勝利は、世界に大きく三つの変化をもたらした。
第一は、当時迫害されていた世界の有色民族のリーダーたちに独立の希望を初めて与えたこと。これは第二次大戦を経て続々と独立を達成した国々のリーダーたちの言葉によって証明されている。
第二は、日本が世界的に大国として認知されたこと。ロシアに勝利したことで、日本は押しも押されぬ強国になったといってよいだろう。
第三は、アメリカが日本を敵視するようになったこと。日露戦争は日米戦争へと向かうきっかけとなったのである。
なぜアメリカが日本を敵視するようになったかといえば、アメリカは世界史をよく知っていたからである。世界の歴史では、小さな陸軍あるいは弱小な陸軍が奇襲攻撃を用いたりして大きな陸軍に勝ったことはしばしばあった。それは珍しいことではないし、世界の大勢に影響を与えることもあまりない。ところが、海上の戦いは文明の戦いであり、その勝敗が後の文明のありかたを決するのである。・・(中略)・・
すべて海軍の戦いの勝敗で時代が大きく動いている。それだけに、日本海海戦で日本の連合艦隊がロシア艦隊を撃破したとのニュースはアメリカに衝撃を与えた。それまでは無視してもいいような小国で、むしろ同情さえしていた日本海軍がロシアの戦艦を何隻も沈め、自分のほうの軍艦は一隻も沈んでいない。この結果にアメリカは恐怖を覚えたに違いない。文明の変化が起こると感じたはずである。”
中国海軍の膨張に対してアメリカは強い警戒感を抱いているに違いない。TPPは中国封じ込めのためアメリカ主導で進められている。日本がアメリカの傘下に入り、強固な軍事同盟で中国に対峙することは中国にとって「生きるか死ぬか」の大問題である。
中国はあらゆる謀略を用い、日本国内にシンパを増殖させ、沖縄県民の心を反戦・琉球独立に向かわせ、台湾国民の心を中国復帰へ向かわせ、日本国内にTPP反対の声を増大させようとしている。第一列島線・核心的利益の戦略の継続は中国の国家意思である。
万物と同様に、人でも国でも「生き残る」「自存」の力が備わっている。その力は本来兼ね備えている自然のものである。しかし人でも国でもその「自存力」の根源を知り、その「自存力」を高める努力をしない限り、生き残ることは非常に難しくなるだろう。
日本国の「自存力」の根源は、この日本列島に住みつき悠久の歴史を持ち、万世一系の天皇を頂いている日本民族一人一人の生来のDNA、これは大陸人とは異なっている部分があるDNAと、日本の精神文化や大和魂を形成している伝統的なもの・伝承されているものの二つである。DNAを「体内遺伝子」とすれば、後者は「体外遺伝子」ともいうべきものである。
この「体外遺伝子」は、戦前までは「皇国史観歴史教育」と「教育勅語」によりしっかりと維持され補強されていた。戦後それがなくなった。これは日本という国家の危機である。目には見えない危機である。日本はここに先ず対処すべきである。
2011年12月11日日曜日
渡部昇一『日本史』を読んで日本人はどうあるべきか考える(101) (20111211)
“さらに明治四十二年(一九〇九)十月二十六日に、伊藤博文がハルピン駅で韓国人テロリストの安重根(あんじゅうこん)によって暗殺されるという事件が起こった。これによって日本国内の世論は一気に韓国併合へと傾き、翌年、正式に併合することになるのである。
これに対して国際社会の反応はどうだったかというと、各国とも朝鮮半島が不安定な状態にあるのは利益に反するという意見で一致しており、イギリスもアメリカも、むしろ積極的に日本の韓国併合を勧めていた。ただアメリカは、韓国併合を認める見返りにアメリカのフィリッピン支配を完全に認めることを求めた。一方、イギリスは、同盟国の日本が強いほうがシナ大陸の利権を守りやすいということで、韓国併合に賛成していた。
しかし、アメリカ、イギリスから勧められたからといって、日本はすぐには飛びついたわけではない。ロシアや清国も含めた各国の意見を十分聞いて、一か国も反対することのないことを確認したうえで併合を決めたのである。
当時出版されていた、ポピュラーであるが権威もあるブリタニカの十一版を見ると、韓国併合について「植民地化(colonization)」という言葉は使っていない。「annexation」といっている。Annexationとは、例えばイギリスだと、イングランドとスコットランドの土地関係の問題に使う言葉である。Colonizationが劣った国から収奪するという意味になるのに対し、annexationはくっつき合って同等の国になろうとすることを意味する。イングランドとスコットランドの関係は、イングランドがスコットランドを植民地化したとはいえない。日本と韓国の関係はそれと同じだと見なしていたのである。
事実、日本は非常に短期間で韓国に大幅に施政権を移している。日本の県議会に相当する議員は非常に早い段階でほとんど全員韓国人になっているし、県知事に相当するような人も出てきている。
その頃、韓国のほうにも併合運動を進める動きがあった。当時の韓国で最大の政党が合併論に賛成していたのである。その理由として当時よく使われたのは、「日韓同祖(どうそ)論」という考え方であった。日本も韓国も先祖は同じだ、というわけである。これは部分的に正しいと思う。少なくとも百済(くだら)と古代の日本は同祖論といってもいい関係にあったはずである。
そのようなことで日韓両国は合併したわけだが、韓国がほかの世界の植民地と徹底的に違うところは、日本が大変な金を持ち出して韓国を日本と同じレベルまで引き上げようと努力している点である。小中学校をつくって義務教育を施し、大学をつくり、専門学校をつくり、それまではほとんど知られておらず、したがって使う人のいなかったハングルまで教えている。
また、韓国の王家は末代まで王のままで、皇太子は皇太子のままで変わらなかったし、韓国の正式な両班(リャンバン)、すなわち伝統的な貴族はそのまま日本の華族になった。こうしたことはヨーロッパの植民地では決して起こり得なかった。”(以上、渡部昇一『決定版 日本史』より引用。)
はっきり言えることは、日本は決して朝鮮(韓国・北朝鮮)を侵略していなかったことであり、「日韓併合」は当時の大韓帝国も同意していたということである。しかも合併したとはいえ、日本は韓国に施政権を移し、韓国を対等の国として育ててゆこうとし、日本の皇室から韓国の皇太子妃として嫁入りまでさせている。日本と韓国は、例えばイギリスにおけるイングランドとスコットランドのようなannexationの関係にあったのである。慰安婦問題などで自虐史観から抜けきっていない政治家たちは日本と韓国の間の近代史を良く勉強して貰いたい。韓国の一方的主張に決して耳を貸さないで欲しい。 (続く)
2011年12月10日土曜日
渡部昇一『日本史』を読んで日本人はどうあるべきか考える(100) (20111210)
この韓国併合は日本が決して積極的に進めたものではなかった。むしろ予想外といえるような出来事があった。これには前段階がある。
日本は日露戦争直後の明治三十八年(一九〇五)十一月、大韓帝国と第二次日韓協約を締結した。これによって韓国が日本の保護国になることが決まった。そして韓国総監府(そうかんふ)を置き、伊藤博文が初代総監として就任することになった。
日本にとって韓国の併合は重い負担を背負い込むことになるため、伊藤博文は韓国を併合することに反対していた。もしも韓国を併合して日本が朝鮮半島を防備することになれば、その負担はたいへんなものになる。これに加えて特に産業らしい産業もない朝鮮半島に工業を興し、インフラを整備するとなれば、これはおおごとである。日露戦争に勝ったとはいえ、日本はヨーロッパ列強のような植民地経営をするような状況になかった。伊藤にはそれがよくわかっていたのである。
ただ、いつまでも韓国の外交がぐらぐらしたままでは日本の国益が損なわれることになる。実際、日清戦争にしても日露戦争にしても朝鮮問題がその主因となっている。そこで韓国が近代化して富強になるまでの当分の間、外交権だけ預かればよいのではないか、そういう方針が出され、韓国を日本の保護国にすることになった。韓国もそれを承諾し、日韓協約が結ばれたのである。
ところが韓国は、協約に基づいて日本が外交権を預かっているにもかかわらず、一九〇七年(明治四十)にオランダのハーグで開かれていた平和国際会議に密使を送り、自国の外交権回復を訴えた。しかし、これは出席していた各国から総スカンを食って、韓国は会議への参加を拒絶されている。”(以上、渡部昇一『決定版 日本史』より引用。)
中国や韓国・北朝鮮(これらの国々の人々の一部または多数)は、なぜ国際ルール或いは国際的常識を無視するような行動をするのだろうか?一部の韓国人が例えばアメリカのフリーウエイに非常に目立つ横看板を立て、そこに「竹島は韓国領」と宣伝したり、剣道や茶道など日本固有の伝統文化の起源が韓国にあると宣伝したりするのは何故だろうか?彼らは国際社会からどんなに非難され、哄笑されても、「自分たちが世界の中心であり、自分たちがやっていることは正しい」と頭から信じ込んでいるように見える。
明治時代一部の韓国人がオランダのハーグで取った行動や、勝手に李承晩ラインを引き自国の古地図を改ざんしてまでも竹島が韓国領であるように歴史を捏造する行動は「国の性格」に起因している。この「国の性格」は「人の性格」同様、変わることはない。
中国の指導部が南京事件を捏造し、記念館まで造り人民を教導しているやり方と、韓国の政府が竹島を独島とし、日本海を東海として子供たちを教導しているやり方とは類似している。政治家やインテリ層の一部に心情的に中国びいきの人たちが多いが、私は彼らに人の性格と行動や性格の相違と人間関係について勉強して貰いたいと思っている。(続く)
2011年12月9日金曜日
アメリカは日本を占領すると日本の能力の根源となるものを徹底的に取り除こうとした。天皇も廃止させようとした。しかしそのアメリカで差別や偏見の中ヨーロッパ戦線で大和魂をもって戦い、史上最強の陸軍と称賛され大統領から「諸君は差別とも戦った」という言葉を贈られて表彰された日系第442連隊の影響もあったことであろうと思うが、日本人の能力を利用することがアメリカの利益になるとアメリカは考えたに違いない。 (続く)
2011年12月8日木曜日
渡部昇一『日本史』を読んで日本人はどうあるべきか考える(98) (20111208)
“ロシアにはナポレオン戦争でナポレオンを裸にして追い返した陸軍があり、イギリスに次ぐ大艦隊を持つ海軍があった。ロシア海軍は当時、バルチック艦隊、黒海艦隊、太平洋艦隊と三つの艦隊を持ち、アジアでは旅順およびウラジオストックに港を構えていた。
このような大ロシアと戦って、誰も日本が勝てるとは思わなかったであろう。ところが、ご存じのように、日本は陸上戦で百戦百勝、海上では、黄海の海戦、蔚山(うるさん)沖の海戦、それから日本海大海戦でロシア艦隊を撃滅した。この戦争の結果は、世界の軍事史にも巨大なる影響を及ぼしたのである。
というのは、ナポレオン戦争のときに最も恐れられたのはコザック騎兵隊であった。コザック騎兵隊に比べれば日本の騎兵隊はとるに足らなかった。江戸時代、日本では馬に乗った戦争がなかったため、馬は全く改良されておらず、明治初年に日本に来た外国人たちは、日本の小さな馬を見て進化論の証明になったと喜んだというぐらいのものであった。そのため日本は、戦争に備えて馬を輸入して育成していたのである。その日本が完全にコザック騎兵隊を押しとどめて、しかも陸上で白人に勝ちまくったのだから驚きである。
これには秋山好古(あきやまよしふる)という天才が大きな役割を果たした。絶対に勝ち目のない日本の騎兵がなぜ勝ち得たか。これは日本軍が騎兵を歩兵として使うことを覚えたからなのだが、簡単にいえば、秋山好古は騎兵に機関銃を持たせたのである。機関銃を持った騎兵にとって、コザックは恐れるに足らなかった。いざとなれば馬からおりて機関銃で応戦し、向かってくるコザック兵たちをなぎ倒したのである。
そしてまた、騎兵の強みである機動性を使って満州の大草原を駆けめぐり、敵の背後に向かってシベリア鉄道を脅かした。シベリア鉄道が破壊されることはロシアにとって補給線を絶たれることになることで、死活問題である。大軍であればあるほど、補給線の確保は重大な問題で、ロシアは非常に神経質になった。このようにして、秋山の「コロンブスの卵」のような発想で、騎兵隊は世界最強のコザックを打ち破ったのである。”(以上、渡部昇一『決定版 日本史』より引用。)
NHKのドラマで『坂の上の雲』が3年がかりで創られ、今年はその第三回目である。NHKは史実にかなり忠実にドラマを創っているように思われる。勿論ドラマであるから創作部分は多い。断片的史実の他はすべて創作であるといってよいほどである。
一方、韓国では歴史よりも物語を大事にしている。韓国人は物語がいつのまにか史実になるように思い込んでいるように見える。例えば「竹島は韓国領」という物語を創り世界中(国際裁判所があるスイスのジュネーヴを除く)に宣伝しまくっている。剣道も茶道も、また禅すらも韓国に起源があるという物語を創り、世界中に宣伝しまくっている。韓国人の中の良識派は自国民がそのような振る舞いをしていることに眉をひそめているに違いない(と思いたい)。いずれにせよ、韓国という「国の性格」はそのような韓国人によって形成されている。人でも国でも「性格」は生涯変わらない。しかし「行動」は自分(自国)に利益をもたらす方向に変わる。 (続く)
2011年12月7日水曜日
渡部昇一『日本史』を読んで日本人はどうあるべきか考える(97) (20111207)
こうして明治三十七年から三十八年(一九〇四~〇五)にかけて起こった日露戦争は、世界中の度肝を抜くような大事件となった。日露戦争の意義については、どんなに高く評価しても評価しきれないほどの大きな意味がる。
というのは世界史的に見ると、コロンブスが一四九二年にアメリカ大陸を発見して以来、白人は続々と世界に出ていって、有色人種の国を植民地にしたり、不平等条約を結んだりして、気がついたら世界地図に独立国として残っているのは、トルコ、風前の灯のシャム(タイ)、それから日本しかなくなっていた。
そして当時の情勢から見れば、白人たちがさらに清国を分割することが確実であった。清はアヘン戦争、アロー戦争でイギリスこてんぱんにやられたうえに、北進事変で完全に腰が抜けてしまっている。ロシアはどんどん南下してきて、すでに満州はロシア領になっており、さらには黄河(こうが)以北か揚子江(ようすこう)以北まで取る可能性があった。それからイギリスは、香港、九龍諸島に加え、揚子江沿岸も取る気があっただろう。フランスはすでにインドシナ(ラオス、カンボジア、ベトナム)を領有し、広州(こうしゅう)湾を取り、ドイツは青島から膠州湾(こうしゅうわん)、さらに山東(さんとう)省の権益を取り、なんでもされ放題のありさまになっていた。
インドもセポイの反乱で全く反抗精神をなくし、ビルマ(現ミャンマー)も領土を取られており、マレーも話にならあに。インドネシアはオランダ領になっている。アフリカはもちろん問題外であるというわけで、見渡したところ、地球の有色民族の中で白人の勢力に抵抗できそうな国は日本しか残っていなかった。
その日本がロシアと戦ったのである。”(以上、渡部昇一『決定版 日本史』より引用。)
日本の学校でこのような史実についてどれほど教えられているだろうか?一方で、戦争中日本軍が悪いことをした、例えば南京虐殺や朝鮮の慰安婦や沖縄の集団自決強制など、ありもしなかったことを実しやかに教えている。皆、自虐史観にとりつかれた反日的な日教組の教師たちが、中国や韓国・北朝鮮のお先棒を担いで子供たちを洗脳している。
日本人がこのような情けない状態になったのは戦争に敗れたことを契機にアメリカが日本を再び軍国にしないという強い意志のもとアメリカ流の文化を日本に押し付けたことに根本の原因がある。一方で日本に反感を持つ国々つまり中国・韓国・北朝鮮はそのようなアメリカの動きを利用して日本国内の反日的勢力(一部の在日外国人や日本人の進歩的文化人・新聞記者など)に働きかけ、活発に活動を行っているためである。
問題が起きたら原点に立ち戻れば良い。一部の進歩的文化人の告げ口がきっかけでGHQによって廃止においこまれた教育勅語を復活させればよい。 (続き)
2011年12月6日火曜日
渡部昇一『日本史』を読んで日本人はどうあるべきか考える(96) (20111206)
それからまた、助けに来た日本の第五師団は猛暑の中、悪戦苦闘しながら戦い、北京を占領する。占領後は、各国の軍隊が占領地域を分割して治安維持をはかったかが、占領地域において一切略奪行為を行わなかったのは日本だけであった。これを見て、当時の北京市民は日本の旗を掲げたという話があるくらいである。
そういう様子を見ていたマクドナルドは、「日本は信頼できる」と本国の外務省に伝えたに違いない。彼は北京のあと東京に公使として赴任し、日露戦争後には初代の日本大使になっている。このマクドナルドがロンドンで日本の林董(はやしただす)公使に最初に日英同盟の提案をし、伊藤博文ですら信じなかった日英同盟が成立するのである。
この日英同盟は、大正十年(一九二一)十二月まで、およそ二十年間にわたって存続した後、同年のワシントン会議の結果、解消されることになった。これは当時、日本を第一の仮想敵国と見なし、対日戦略構想を立案していたアメリカの介入によるものであった。
日英同盟の代わりに結ばれた日・英・米・仏の四国協定は何の意味もない。何の役にも立たないものであった。これ以降、日米関係は悪化し、日本は対米戦争の道に入り込んでいくことになるのである。”(以上、渡部昇一『決定版 日本史』より引用。)
私は、国の「性格」というものについて考える。人の「性格」は変わることがないように、国の「性格」も変わることはない。「性格」はDNAと成長期の環境により形成されている。他者が自分の「性格」を変えようとすると自分は怒る。
アメリカの「性格」は「陽気である。」「開放的である」。「傲慢なところがある」。「ひたすら富と豊かさを求める」。「自分の富と利益が損なわれるようであると友達でも容赦なく文句を言い、喧嘩を吹っ掛ける」。「兄弟のイギリスや親族のイスラエルを大事にする」。その兄弟であるイギリスや親族であるイスラエルは、兄貴分であるアメリカと一緒に荒野で戦うことを当たり前と思っている。さながら西部の荒野の三兄弟のガンマンのようである。アメリカは「日本はときに扱いにくいがよい友人であると思っている」。
日本はアメリカ以上の超大国になることができるだろうか?私は、それは決してあり得ないと思う。日本にとってアメリカやイギリスやフランスなどは「性格」的に折り合うよい友だちである。しかし、中国や韓国や北朝鮮は「性格」的にどうしても折り合えない。ロシアの「性格」は「ずるい」と言える。しかしロシアの出方次第では折り合えないこともない。
日本人はルーツに中国や韓国・北朝鮮の血も混じっているが縄文・渡来系弥生人が母体である。万世一系の血統の天皇がいる国である。「性格」が折り合わない中国・韓国・北朝鮮と一緒に同じ屋根の下で同じ釜の飯を食い、同じ風呂に入り、共に外敵と戦う、というような暮らし方は決して上手く行く筈がない。 (続く)
2011年12月5日月曜日
渡部昇一『日本史』を読んで日本人はどうあるべきか考える(95) (20111205)
実は、日英同盟を結ぶ直前まで、イギリスは南アフリカでボーア人というオランダ系移民の子孫を相手に戦争をしていた(ボーア戦争)。この戦争は一八九九年から一九〇二年まで四年も続いた。このアフリカの南端で戦っていた陸軍が、いざというときにシナ大陸まで地球を半分回ってやってきてロシア軍を押さえることは到底不可能な話だった。しかし、ロシアは今まさに南下をはじめている。これを抑えなければ、シナに持っているイギリスの莫大な権限を守るすべがない。そこでイギリスは日本と手を組むことにした。
これが日英同盟締結の真相である。日本にしてみれば、イギリスは普通の国とは軍事同盟を結ばないという超一流国である。そのイギリスと軍事同盟を結ぶというのはたいへんなプラスなので、非常に喜んだのである。
では、イギリスがなぜ日本を選んだのかというと、それは明治三十三年(一九〇〇)に起きた北進(ほくしん)事変がきっかけとなった。これは北京にいる列強八か国の公使館のある区域が、「扶清滅洋(ふしんめつよう)」(清を扶(たす)け、西洋を滅ぼす)を掲げる義和団(ぎわだん)という宗教団体の反乱(拳匪(けんぴ)の乱)によって包囲され、それを後押しする清国が列強に対して宣戦布告した事件である。
このとき、欧米列強は日本が救援軍を派遣することを望んだが、日本政府は三国干渉の経験から国際社会の反応を恐れて動こうとしなかった。日本軍が動けば、日本を敵視している国は必ず「義和団の乱を口実にして日本は清を侵略した」と言い出すに違いない。そこで日本政府は他国からの正式な要請がなければ動かないことにしたのである。白人中心の世界に日本が受け入れられるためには、欧米協調を旨として、節度ある行動をとる必要があると考えたのである。最終的にはイギリス政府が欧州各国の意見を代表する形で日本に正式な出兵要請をし、それを受けて日本は出兵を承諾したのである。
その救援軍が到着するまで、北京の公使館区域を守るときいちばん活躍したのも日本人であった。当時、北京にある公使館員を中心に北京防衛軍が組織されたが、その中で最も勇敢にして功績があったのは、柴五郎中佐という公使館付き武菅の指揮のもと戦ったわずかな人数の日本人兵であった。”(以上、渡部昇一『決定版 日本史』より引用。)
日英同盟は幸運であった。しかしその幸運の元になったものは日本政府の正しく適切ない判断と、日本軍人の清い心と勇敢さと規律と兵法能力の高さだった。ここに武士道精神の真髄をみることができる。 (続く)
2011年12月4日日曜日
2011年12月3日土曜日
渡部昇一『日本史』を読んで日本人はどうあるべきか考える(93) (20111203)
台湾と澎湖諸島は清国にとって実効的な支配の及ばない土地だったから問題はなかった。遼東半島も万里(ばんり)の長城(こうじょう)の外にあり、清国にとって比較益重要どの低い土地だった。一方、日本にとっては関東州は南満州(まんしゅう)に入り込んでおり、それだけの地域を割譲してもらえば、その後の日本の移民問題も起こらず、日露戦争のもとになる旅順(りょじゅん)、大連(だいれん)がロシアの手に渡ることもなかったわけだから、日露戦争そのものが起こらなかった可能性も大きかった。また、朝鮮を併合する必要もなかったといってよい。
ところが、日本が講和条約を結ぶとすぎに三国干渉(かんしょう)が起こった。ロシアが音頭(おんど)をとって、ドイツとフランスとともに、遼東半島を日本が取るのは東洋の平和を脅(おびやかす)ものであると文句をつけ、明治二十八年(一八九五)四月二十三日、日本に対して「遼東半島を清に返還せよ」と要求してきたのである。
日本人は非常に怒ったが、この三か国を相手に一戦を交えたところで勝ち目はない。それで明治天皇が「遼東還付の勅語」を発布されたためみんな我慢したのである。
しかし、その後、日本が返した遼東半島南端の旅順と大連をロシアが租借(そしゃく)
し、山東半島の青島(チンタオ)をドイツが租借し、威海衛と九龍(きゅうりゅう)半島をイギリスが租借し、広州湾はフランスが租借することになった。これは日本にとって納得のいく話ではない。とりわけロシアが遼東半島に進出してくるのは絶対に困る。ロシアは幕末の頃から日本の最大の敵であった。幕末にすでに對馬(つしま)に上陸されたことがあり、日本はイギリスに頼んでこれを追い払ってもらったことがあったほどである。
日本から見れば、ドイツにしろ、フランスにしろ、イギリスにしろ、あるいはアメリカにしろ、海を越えて来なければならないから、そんなに大きな脅威ではなかったが、ロシアは朝鮮半島まで陸続きであったから、その恐怖はよその国と比べものにならない。”
(以上、渡部昇一『決定版 日本史』より引用。)
当時、日本にとって三国干渉した欧米諸国は脅威ではなかった。アメリカは日本に開国と通商を求めて黒船で日本を威圧したが日本を占領する意図は全くなかった。イギリスは日本を助けた。ところがロシアは日本にとって非常に脅威であった。
澎湖諸島は、台湾島の西方約50kmに位置する台湾海峡上の島嶼群のことである。澎湖諸島と台湾は清国の実効支配が及んでいなかった。尖閣諸島も同じである。しかし、中国は今になってそれらはもともと中国領であると主張している。
17世紀後半、清国に攻められていた明を復活させようと鄭成功は17万余の軍を興し戦ったが敗れ、台湾に逃れ台湾にいたオランダ人を追い払った。鄭成功は平戸で生れた。生母は日本人田川 松である。松の父親は平戸藩氏藩士田川七左衛門である。彼は台湾人の不屈精神のシンボルとして社会的に極めて高い地位を占めているという。 (続く)
2011年12月2日金曜日
渡部昇一『日本史』を読んで日本人はどうあるべきか考える(92) (20111202)
“また陸軍のほうは普仏(ふふつ)戦争で勝ったドイツの真似をしようと考えて、ドイツ参謀(さんぼう)本部の指導を仰ぎ、師団(しだん)をつくるのである。師団というのは、元来ナポレオンのときに生まれたもので、一つの軍隊の中に一種の自己完結性のある団体をつくるという発想である。日本はそうした師団をいくつか組織した。
ところが、清国は昔と同じ感覚で戦争をはじめたから、その差は歴然であった。まず黄海の海戦では五隻の巡洋(じゅんよう)艦が日本軍に沈められ、その他の艦船も損傷を受けて威海衛(いかいえい)に逃げ帰った。逆に日本側は一隻も沈没することはなかった。陸戦の戦いも同じく、近代的な訓練を受けた日本の兵隊と、寄せ集めのような清国の軍隊とでは勝負にならなかった。だから、あっという間に終わってしまったのである。
ちなみに、黄海の海戦では、負けて自殺した丁汝昌(ていじょしょう)という清国の海軍提督(ていとく)の死体が威海衛からジャンクで運ばれると聞いたとき、伊藤祐亭(いとうすけゆき)連合艦隊司令長官は、それは武士道に反するとして日本の軍艦に乗せて立派に送り返したという美談が残っている。
日清戦争で日本が勝ったことにより、朝鮮半島は「大韓帝国(だいかんていこく)」という独立国となった。朝鮮民族が「帝国」という言葉を使い、国王が皇帝と称したのは、このときが最初にして最後である。国王と皇帝は呼び方が違うだけではないかと思われるかもしれないが、国王が皇帝と呼ばれるようになったということは、韓国のシナ大陸の王朝からの独立を象徴的に表現しているのである。”(以上渡部昇一『決定版 日本史』より引用。)
韓国・北朝鮮の人たちのものの考え方・見かたを特徴づける要素の大きな部分は、朝鮮半島の各王は200年以降シナの天子(皇帝)の柵封下にあり、民はその下に支配されていたということである。その歴史的事実は、韓国・北朝鮮の人たちの深層心理を形成しているだろう。
同様に中国の人たちのものの考え方・見かたを特徴づける大きな部分は、何千年もの間、天子が自国のみならず周辺の国々をも統治するということをやってきたということである。その歴史的事実は中国の人たちの深層心理を形成しているだろう。
そもそも深層心理は自覚出来ないものである。それは第三者である心理学者がいろいろな知識・技術を用いて導き出すものである。
民の集合体である国家の「性格」は、民の深層心理を反映したものである。日本がいろいろな方法で中国や韓国・北朝鮮の「性格」を変えさせようとしても無理なことである。しかしその「行動」は自国にとって利益のあることであれば変わる。国としての「自存力」が働く。しかし永久に変わったままであるということは絶対ないであろう。 (続く)
2011年12月1日木曜日
福沢諭吉は何度も欧米に旅行し、日本人に「脱亜入欧(だつあにゅうおう)」を説いていた。これは単純な欧米崇拝ではない。「なんとしても近代化せねば、われわれは白人の奴隷になってしまう」という焦燥(しょうそう)感から出たものである。福沢はそれを「下からの近代化」によって行おうとした。だからこそ彼は慶応義塾(けいおうぎじゅく)をつくり、塾生たちに「官僚にならず、民間人として新知識をかつようせよ」と説いたのである。
一方、同様の危機感を抱いていた明治政府は「上からの近代化」をめざした。その流れの一つとして、日本以外にもアジアに独立国があることが望ましいと考えた。日本一か国ではとても白人の力には対抗できない。仲間が欲しい。だから朝鮮の清国からの独立をしきりに求めたのである。これは日本の切実な願いであった。
ところが、清国はそれを許そうとしない。「朝鮮は二百年来、清国の属国であり、日本ごときが今さら口を出す筋合いのものではない」というわけである。その結果として勃発したのが明治二十七年から八年(一八九四~九五)にかけて行われた日清戦争である。
それまで清国は、例えば海軍では定遠(じょうえん)とか鎮遠(ちんえん)という大きな軍船を買って日本を脅しにかかっていた。長崎に立ち寄ったときは、乗組員が長崎に上陸して乱暴を働いて死者が出たこともあった。それから東京湾に来たときは、大きな軍艦を持っていることを見せつけて、日本人の度肝(どぎも)を抜いた。
ところが、日本人が偉いのは、その驚きにすぐ対応するところにある。清国の軍艦は相手の船に巨体をぶっつけて損傷を与えるタイプのものだった。それを理解した日本は、そんな戦法は時代遅れであると見抜き、それより小型でいいから速度が速くて速射砲をポンポン撃てるような船がいいと考えて、そういう形式の船を次々に配備していくのである。”(以上、渡部昇一『決定版 日本史』より引用。)
今の日本の若い人たちが、また中国の人たちや韓国の人たちが、また在日の韓国・北朝鮮や中国の人たちが日清戦争に至ったいきさつをどれほど正しく知っているだろうか?
かくいう私自身も日本の近代史を徹底的に学び始めたのは数年前のことである。日本の近代史は戦後あまりよく研究されなかったし、一般大衆も関心を示さなかった。ところが近年近代史を研究する動きが活発になったようで、そのせいか日本の近代の歴史資料が次々明るみでるようになった。影響力が大きいNHKは「歴史」という言葉を表に出さず、さりげないタイトルで視聴者にメッセージを発している。
気をつけなればならないことは、歴史資料の切り口に添えられる「言葉」である。皇国史観のないディレクターが何も知らない日本国民を洗脳していないだろうか? (続く)