2011年12月5日月曜日

渡部昇一『日本史』を読んで日本人はどうあるべきか考える(95) (20111205)

 “このイギリスの国益とは何か。それはイギリスがシナ大陸に持つ自分たちの利権を指している。

 実は、日英同盟を結ぶ直前まで、イギリスは南アフリカでボーア人というオランダ系移民の子孫を相手に戦争をしていた(ボーア戦争)。この戦争は一八九九年から一九〇二年まで四年も続いた。このアフリカの南端で戦っていた陸軍が、いざというときにシナ大陸まで地球を半分回ってやってきてロシア軍を押さえることは到底不可能な話だった。しかし、ロシアは今まさに南下をはじめている。これを抑えなければ、シナに持っているイギリスの莫大な権限を守るすべがない。そこでイギリスは日本と手を組むことにした。

 これが日英同盟締結の真相である。日本にしてみれば、イギリスは普通の国とは軍事同盟を結ばないという超一流国である。そのイギリスと軍事同盟を結ぶというのはたいへんなプラスなので、非常に喜んだのである。

 では、イギリスがなぜ日本を選んだのかというと、それは明治三十三年(一九〇〇)に起きた北進(ほくしん)事変がきっかけとなった。これは北京にいる列強八か国の公使館のある区域が、「扶清滅洋(ふしんめつよう)」(清を扶(たす)け、西洋を滅ぼす)を掲げる義和団(ぎわだん)という宗教団体の反乱(拳匪(けんぴ)の乱)によって包囲され、それを後押しする清国が列強に対して宣戦布告した事件である。

 このとき、欧米列強は日本が救援軍を派遣することを望んだが、日本政府は三国干渉の経験から国際社会の反応を恐れて動こうとしなかった。日本軍が動けば、日本を敵視している国は必ず「義和団の乱を口実にして日本は清を侵略した」と言い出すに違いない。そこで日本政府は他国からの正式な要請がなければ動かないことにしたのである。白人中心の世界に日本が受け入れられるためには、欧米協調を旨として、節度ある行動をとる必要があると考えたのである。最終的にはイギリス政府が欧州各国の意見を代表する形で日本に正式な出兵要請をし、それを受けて日本は出兵を承諾したのである。

 その救援軍が到着するまで、北京の公使館区域を守るときいちばん活躍したのも日本人であった。当時、北京にある公使館員を中心に北京防衛軍が組織されたが、その中で最も勇敢にして功績があったのは、柴五郎中佐という公使館付き武菅の指揮のもと戦ったわずかな人数の日本人兵であった。(以上、渡部昇一『決定版 日本史』より引用。)

 日英同盟は幸運であった。しかしその幸運の元になったものは日本政府の正しく適切ない判断と、日本軍人の清い心と勇敢さと規律と兵法能力の高さだった。ここに武士道精神の真髄をみることができる。          (続く)

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