2011年12月11日日曜日

渡部昇一『日本史』を読んで日本人はどうあるべきか考える(101) (20111211)

 “さらに明治四十二年(一九〇九)十月二十六日に、伊藤博文がハルピン駅で韓国人テロリストの安重根(あんじゅうこん)によって暗殺されるという事件が起こった。これによって日本国内の世論は一気に韓国併合へと傾き、翌年、正式に併合することになるのである。

 これに対して国際社会の反応はどうだったかというと、各国とも朝鮮半島が不安定な状態にあるのは利益に反するという意見で一致しており、イギリスもアメリカも、むしろ積極的に日本の韓国併合を勧めていた。ただアメリカは、韓国併合を認める見返りにアメリカのフィリッピン支配を完全に認めることを求めた。一方、イギリスは、同盟国の日本が強いほうがシナ大陸の利権を守りやすいということで、韓国併合に賛成していた。

 しかし、アメリカ、イギリスから勧められたからといって、日本はすぐには飛びついたわけではない。ロシアや清国も含めた各国の意見を十分聞いて、一か国も反対することのないことを確認したうえで併合を決めたのである。

 当時出版されていた、ポピュラーであるが権威もあるブリタニカの十一版を見ると、韓国併合について「植民地化(colonization)」という言葉は使っていない。「annexation」といっている。Annexationとは、例えばイギリスだと、イングランドとスコットランドの土地関係の問題に使う言葉である。Colonizationが劣った国から収奪するという意味になるのに対し、annexationはくっつき合って同等の国になろうとすることを意味する。イングランドとスコットランドの関係は、イングランドがスコットランドを植民地化したとはいえない。日本と韓国の関係はそれと同じだと見なしていたのである。

 事実、日本は非常に短期間で韓国に大幅に施政権を移している。日本の県議会に相当する議員は非常に早い段階でほとんど全員韓国人になっているし、県知事に相当するような人も出てきている。

 その頃、韓国のほうにも併合運動を進める動きがあった。当時の韓国で最大の政党が合併論に賛成していたのである。その理由として当時よく使われたのは、「日韓同祖(どうそ)論」という考え方であった。日本も韓国も先祖は同じだ、というわけである。これは部分的に正しいと思う。少なくとも百済(くだら)と古代の日本は同祖論といってもいい関係にあったはずである。

そのようなことで日韓両国は合併したわけだが、韓国がほかの世界の植民地と徹底的に違うところは、日本が大変な金を持ち出して韓国を日本と同じレベルまで引き上げようと努力している点である。小中学校をつくって義務教育を施し、大学をつくり、専門学校をつくり、それまではほとんど知られておらず、したがって使う人のいなかったハングルまで教えている。

また、韓国の王家は末代まで王のままで、皇太子は皇太子のままで変わらなかったし、韓国の正式な両班(リャンバン)、すなわち伝統的な貴族はそのまま日本の華族になった。こうしたことはヨーロッパの植民地では決して起こり得なかった。”(以上、渡部昇一『決定版 日本史』より引用。)                           

 はっきり言えることは、日本は決して朝鮮(韓国・北朝鮮)を侵略していなかったことであり、「日韓併合」は当時の大韓帝国も同意していたということである。しかも合併したとはいえ、日本は韓国に施政権を移し、韓国を対等の国として育ててゆこうとし、日本の皇室から韓国の皇太子妃として嫁入りまでさせている。日本と韓国は、例えばイギリスにおけるイングランドとスコットランドのようなannexationの関係にあったのである。慰安婦問題などで自虐史観から抜けきっていない政治家たちは日本と韓国の間の近代史を良く勉強して貰いたい。韓国の一方的主張に決して耳を貸さないで欲しい。    (続く)

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