2011年12月2日金曜日

渡部昇一『日本史』を読んで日本人はどうあるべきか考える(92) (20111202)

 “また陸軍のほうは普仏(ふふつ)戦争で勝ったドイツの真似をしようと考えて、ドイツ参謀(さんぼう)本部の指導を仰ぎ、師団(しだん)をつくるのである。師団というのは、元来ナポレオンのときに生まれたもので、一つの軍隊の中に一種の自己完結性のある団体をつくるという発想である。日本はそうした師団をいくつか組織した。

 ところが、清国は昔と同じ感覚で戦争をはじめたから、その差は歴然であった。まず黄海の海戦では五隻の巡洋(じゅんよう)艦が日本軍に沈められ、その他の艦船も損傷を受けて威海衛(いかいえい)に逃げ帰った。逆に日本側は一隻も沈没することはなかった。陸戦の戦いも同じく、近代的な訓練を受けた日本の兵隊と、寄せ集めのような清国の軍隊とでは勝負にならなかった。だから、あっという間に終わってしまったのである。

 ちなみに、黄海の海戦では、負けて自殺した丁汝昌(ていじょしょう)という清国の海軍提督(ていとく)の死体が威海衛からジャンクで運ばれると聞いたとき、伊藤祐亭(いとうすけゆき)連合艦隊司令長官は、それは武士道に反するとして日本の軍艦に乗せて立派に送り返したという美談が残っている。

 日清戦争で日本が勝ったことにより、朝鮮半島は「大韓帝国(だいかんていこく)」という独立国となった。朝鮮民族が「帝国」という言葉を使い、国王が皇帝と称したのは、このときが最初にして最後である。国王と皇帝は呼び方が違うだけではないかと思われるかもしれないが、国王が皇帝と呼ばれるようになったということは、韓国のシナ大陸の王朝からの独立を象徴的に表現しているのである。(以上渡部昇一『決定版 日本史』より引用。)

 韓国・北朝鮮の人たちのものの考え方・見かたを特徴づける要素の大きな部分は、朝鮮半島の各王は200年以降シナの天子(皇帝)の柵封下にあり、民はその下に支配されていたということである。その歴史的事実は、韓国・北朝鮮の人たちの深層心理を形成しているだろう。
 同様に中国の人たちのものの考え方・見かたを特徴づける大きな部分は、何千年もの間、天子が自国のみならず周辺の国々をも統治するということをやってきたということである。その歴史的事実は中国の人たちの深層心理を形成しているだろう。
 そもそも深層心理は自覚出来ないものである。それは第三者である心理学者がいろいろな知識・技術を用いて導き出すものである。

 民の集合体である国家の「性格」は、民の深層心理を反映したものである。日本がいろいろな方法で中国や韓国・北朝鮮の「性格」を変えさせようとしても無理なことである。しかしその「行動」は自国にとって利益のあることであれば変わる。国としての「自存力」が働く。しかし永久に変わったままであるということは絶対ないであろう。  (続く)

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