2011年12月4日日曜日

渡部昇一『日本史』を読んで日本人はどうあるべきか考える(94) (20111204)
 “そのロシアが遼東半島を租借して旅順を軍港にする。それだけならまだしも、現在の北朝鮮あたりまで手をのばしてきた。日本は必死になって、満州を自由にするのは仕方ないとしても、朝鮮半島には出てきてもらっては困るという趣旨の交渉をはじめた。ところが、ロシアは全く聞く耳を持たない。鴨緑江(おうりょっこう)河口にある龍岩浦(りゅうがんぽ)という漁村を手に入れ、これを軍港に変える。それから北朝鮮の鉱山採掘権や森林伐採権なども取る。そしてついに、日本と眼と鼻の先にある鎮海(ちんかい)湾のあたりに軍港を借りたいと朝鮮政府に要求するのである。
 鎮海湾を押さえられたとしたら、全朝鮮がロシア軍に制されることになる。これは日本にとって致命的である。このロシアの重圧については、昭和二十五年(一九五〇)に朝鮮戦争がはじまったとき、アメリカのマッカーサー元帥(げんすい)も認めざるを得なかった。アメリカ軍は朝鮮半島を防衛するため、ソ連の指示を得た北朝鮮軍と死闘を繰り広げることになるのである。
 ロシアは朝鮮政府に圧力をかけた。朝鮮は事大(じだい)主義の国であったから、三国干渉で日本があっさりドイツ、ロシア、フランスの圧力に屈して遼東半島を返すのを見て、やはり白人国にはかなわないのだろうと判断した。そして一気にロシア寄りになるのである。さすがに鎮海湾に港を貸すことは反対したが、それもいつひっくりかえるかわからない。
 これをもって日本はロシアとの外交交渉を続行するのをあきらめ、シベリア鉄道の完成の前というぎりぎりのタイミングで戦争に突入するのである。
その前に日本にとって幸いな出来事があった。日露戦争が勃発する二年前の明治三十五年(一九〇二)に日英同盟が締結されたのである。日英同盟はイギリスの国益を守るためにできたようなものだが、それは日本の国益とも一致したのである。”(以上、渡部昇一『決定版 日本史』より引用。)
歴史に「もし」ということはないが、日英同盟は日本にとって幸運だった。また朝鮮戦争で朝鮮半島がソ連のおもいのままにならず、韓国という西側陣営の国が残り、日米安全舗装条約が締結されたことも幸運だった。
幸運は偶然だっただろか?私はそうではないと思う。「思う」というよりも「信じている」。というのは、これは客観的に証明されているものではないが、元寇のときもそうであったが、日本は日本列島が侵略されそうな危険な状態になったとき、何かが起きているのである。眼には見えない「何か」がこの日本列島と日本民族を護ってくれているのである。
その眼には見えない「何か」は、万世一系の天皇と日本民族の祖霊だと思う。日本中何処にもある鳥居と神社はその「何か」と交流する場所である。
国として靖国神社を祀らないことは絶対間違っていると私は思う。
                                   (続く)