2011年12月3日土曜日

渡部昇一『日本史』を読んで日本人はどうあるべきか考える(93) (20111203)

“日清戦争の講和交渉の結果、日本は清国から賠償金と台湾、澎湖(ほうこ)諸島および遼東(りょうとう)半島(関東州)の割譲を受けることになった。これがそのままおさまっていれば日本にとってこのうえない好条件となったのだが、そうはいかなかった。

 台湾と澎湖諸島は清国にとって実効的な支配の及ばない土地だったから問題はなかった。遼東半島も万里(ばんり)の長城(こうじょう)の外にあり、清国にとって比較益重要どの低い土地だった。一方、日本にとっては関東州は南満州(まんしゅう)に入り込んでおり、それだけの地域を割譲してもらえば、その後の日本の移民問題も起こらず、日露戦争のもとになる旅順(りょじゅん)、大連(だいれん)がロシアの手に渡ることもなかったわけだから、日露戦争そのものが起こらなかった可能性も大きかった。また、朝鮮を併合する必要もなかったといってよい。

 ところが、日本が講和条約を結ぶとすぎに三国干渉(かんしょう)が起こった。ロシアが音頭(おんど)をとって、ドイツとフランスとともに、遼東半島を日本が取るのは東洋の平和を脅(おびやかす)ものであると文句をつけ、明治二十八年(一八九五)四月二十三日、日本に対して「遼東半島を清に返還せよ」と要求してきたのである。

 日本人は非常に怒ったが、この三か国を相手に一戦を交えたところで勝ち目はない。それで明治天皇が「遼東還付の勅語」を発布されたためみんな我慢したのである。

 しかし、その後、日本が返した遼東半島南端の旅順と大連をロシアが租借(そしゃく)

し、山東半島の青島(チンタオ)をドイツが租借し、威海衛と九龍(きゅうりゅう)半島をイギリスが租借し、広州湾はフランスが租借することになった。これは日本にとって納得のいく話ではない。とりわけロシアが遼東半島に進出してくるのは絶対に困る。ロシアは幕末の頃から日本の最大の敵であった。幕末にすでに對馬(つしま)に上陸されたことがあり、日本はイギリスに頼んでこれを追い払ってもらったことがあったほどである。

 日本から見れば、ドイツにしろ、フランスにしろ、イギリスにしろ、あるいはアメリカにしろ、海を越えて来なければならないから、そんなに大きな脅威ではなかったが、ロシアは朝鮮半島まで陸続きであったから、その恐怖はよその国と比べものにならない。”

(以上、渡部昇一『決定版 日本史』より引用。)

 当時、日本にとって三国干渉した欧米諸国は脅威ではなかった。アメリカは日本に開国と通商を求めて黒船で日本を威圧したが日本を占領する意図は全くなかった。イギリスは日本を助けた。ところがロシアは日本にとって非常に脅威であった。

澎湖諸島は、台湾島の西方約50kmに位置する台湾海峡上の島嶼群のことである。澎湖諸島と台湾は清国の実効支配が及んでいなかった。尖閣諸島も同じである。しかし、中国は今になってそれらはもともと中国領であると主張している。

17世紀後半、清国に攻められていた明を復活させようと鄭成功は17万余の軍を興し戦ったが敗れ、台湾に逃れ台湾にいたオランダ人を追い払った。鄭成功は平戸で生れた。生母は日本人田川 松である。松の父親は平戸藩氏藩士田川七左衛門である。彼は台湾人の不屈精神のシンボルとして社会的に極めて高い地位を占めているという。     (続く)

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