2011年12月10日土曜日

渡部昇一『日本史』を読んで日本人はどうあるべきか考える(100) (20111210)

 “日露戦争から五年後の明治四十三年(一九一〇)八月二十二日、日本は大韓帝国を「韓国併合ニ関スル条約」に基づいて併合した。これにより、韓国皇帝は大韓帝国の統治権を日本の天皇に譲与することになった。これが「日韓併合」(韓国併合)である。

 この韓国併合は日本が決して積極的に進めたものではなかった。むしろ予想外といえるような出来事があった。これには前段階がある。

 日本は日露戦争直後の明治三十八年(一九〇五)十一月、大韓帝国と第二次日韓協約を締結した。これによって韓国が日本の保護国になることが決まった。そして韓国総監府(そうかんふ)を置き、伊藤博文が初代総監として就任することになった。

 日本にとって韓国の併合は重い負担を背負い込むことになるため、伊藤博文は韓国を併合することに反対していた。もしも韓国を併合して日本が朝鮮半島を防備することになれば、その負担はたいへんなものになる。これに加えて特に産業らしい産業もない朝鮮半島に工業を興し、インフラを整備するとなれば、これはおおごとである。日露戦争に勝ったとはいえ、日本はヨーロッパ列強のような植民地経営をするような状況になかった。伊藤にはそれがよくわかっていたのである。

 ただ、いつまでも韓国の外交がぐらぐらしたままでは日本の国益が損なわれることになる。実際、日清戦争にしても日露戦争にしても朝鮮問題がその主因となっている。そこで韓国が近代化して富強になるまでの当分の間、外交権だけ預かればよいのではないか、そういう方針が出され、韓国を日本の保護国にすることになった。韓国もそれを承諾し、日韓協約が結ばれたのである。

 ところが韓国は、協約に基づいて日本が外交権を預かっているにもかかわらず、一九〇七年(明治四十)にオランダのハーグで開かれていた平和国際会議に密使を送り、自国の外交権回復を訴えた。しかし、これは出席していた各国から総スカンを食って、韓国は会議への参加を拒絶されている。(以上、渡部昇一『決定版 日本史』より引用。)

 中国や韓国・北朝鮮(これらの国々の人々の一部または多数)は、なぜ国際ルール或いは国際的常識を無視するような行動をするのだろうか?一部の韓国人が例えばアメリカのフリーウエイに非常に目立つ横看板を立て、そこに「竹島は韓国領」と宣伝したり、剣道や茶道など日本固有の伝統文化の起源が韓国にあると宣伝したりするのは何故だろうか?彼らは国際社会からどんなに非難され、哄笑されても、「自分たちが世界の中心であり、自分たちがやっていることは正しい」と頭から信じ込んでいるように見える。

 明治時代一部の韓国人がオランダのハーグで取った行動や、勝手に李承晩ラインを引き自国の古地図を改ざんしてまでも竹島が韓国領であるように歴史を捏造する行動は「国の性格」に起因している。この「国の性格」は「人の性格」同様、変わることはない。

中国の指導部が南京事件を捏造し、記念館まで造り人民を教導しているやり方と、韓国の政府が竹島を独島とし、日本海を東海として子供たちを教導しているやり方とは類似している。政治家やインテリ層の一部に心情的に中国びいきの人たちが多いが、私は彼らに人の性格と行動や性格の相違と人間関係について勉強して貰いたいと思っている。(続く)

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