2011年12月1日木曜日

渡部昇一『日本史』を読んで日本人はどうあるべきか考える(91 (20111201)

 “現代に生きるわれわれは日本が独立国であることになんの疑いも持っていない。しかし、幕末から明治にかけての日本人は、「このままでは日本は西洋人の植民地になるかもしれない」という深刻な不安を抱えていた。当時、有色人種の独立国は実質上、日本とトルコしかなかった。シャム(タイ)は独立国であったけれど、いつ植民地にされてもおかしくないようなところでかろうじて独立を保っている有様だった。

 福沢諭吉は何度も欧米に旅行し、日本人に「脱亜入欧(だつあにゅうおう)」を説いていた。これは単純な欧米崇拝ではない。「なんとしても近代化せねば、われわれは白人の奴隷になってしまう」という焦燥(しょうそう)感から出たものである。福沢はそれを「下からの近代化」によって行おうとした。だからこそ彼は慶応義塾(けいおうぎじゅく)をつくり、塾生たちに「官僚にならず、民間人として新知識をかつようせよ」と説いたのである。

 一方、同様の危機感を抱いていた明治政府は「上からの近代化」をめざした。その流れの一つとして、日本以外にもアジアに独立国があることが望ましいと考えた。日本一か国ではとても白人の力には対抗できない。仲間が欲しい。だから朝鮮の清国からの独立をしきりに求めたのである。これは日本の切実な願いであった。

 ところが、清国はそれを許そうとしない。「朝鮮は二百年来、清国の属国であり、日本ごときが今さら口を出す筋合いのものではない」というわけである。その結果として勃発したのが明治二十七年から八年(一八九四~九五)にかけて行われた日清戦争である。

 それまで清国は、例えば海軍では定遠(じょうえん)とか鎮遠(ちんえん)という大きな軍船を買って日本を脅しにかかっていた。長崎に立ち寄ったときは、乗組員が長崎に上陸して乱暴を働いて死者が出たこともあった。それから東京湾に来たときは、大きな軍艦を持っていることを見せつけて、日本人の度肝(どぎも)を抜いた。

 ところが、日本人が偉いのは、その驚きにすぐ対応するところにある。清国の軍艦は相手の船に巨体をぶっつけて損傷を与えるタイプのものだった。それを理解した日本は、そんな戦法は時代遅れであると見抜き、それより小型でいいから速度が速くて速射砲をポンポン撃てるような船がいいと考えて、そういう形式の船を次々に配備していくのである。”(以上、渡部昇一『決定版 日本史』より引用。)

 今の日本の若い人たちが、また中国の人たちや韓国の人たちが、また在日の韓国・北朝鮮や中国の人たちが日清戦争に至ったいきさつをどれほど正しく知っているだろうか?

 かくいう私自身も日本の近代史を徹底的に学び始めたのは数年前のことである。日本の近代史は戦後あまりよく研究されなかったし、一般大衆も関心を示さなかった。ところが近年近代史を研究する動きが活発になったようで、そのせいか日本の近代の歴史資料が次々明るみでるようになった。影響力が大きいNHKは「歴史」という言葉を表に出さず、さりげないタイトルで視聴者にメッセージを発している。

 気をつけなればならないことは、歴史資料の切り口に添えられる「言葉」である。皇国史観のないディレクターが何も知らない日本国民を洗脳していないだろうか?  (続く)

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