2010年2月6日土曜日

ブッダ「真理のことば」を学ぶ(15(20100206)

小沢氏の不起訴が決まった。しかしその内容は「嫌疑不十分」ということであって「嫌疑なし」ということではない。今後法廷の場で明らかにしてゆくということである。一方、小沢氏を擁護する輿石氏らはこれで疑いが晴れたと喜んでいる。党首の鳩山総理は「小沢氏に幹事長として参院選を戦って行く」と言明した。男は今後小沢氏を告発した市民団体も含め、検察審査会への申立てなどいろいろ攻勢をかけて行くことだろう。
男は民主党が旧政権で出来なかったことをやって行こうとすることは正しいと思う。ただし、条件がある。それは「中庸を外れてはならない。」ということである。昨年夏の選挙で政権をとったからとて、得票率も上で国民の過半数が民主党を支持したわけではない。中庸を外れ、革命じみたことをやってもらっては困る。公共事業の予算を18.5%も削ったことが果たして正しかったかどうか、地方に経済的ダメージを与え、かえって地方を疲弊させる結果にならなければよいがと男は思う。
小沢氏は永住外国人参政権を実現させようとしている。鳩山総理は「個人的にはそれに積極的な思いはある。」という。「参院選で過半数の当選者を出す」ということは、ある意味では‘公’的ではなく民主党の‘私’的な目標である。そのような目標を「国民のため」というのは思い上がった考え方である。それは大義でも正義でもない。こころある人々には「一体この国はどうなるのか。」という言い知れない不安感を抱かせている。旧ドイツのナチス政権は合法的な選挙で多数の議員を出し、ドイツをあのような国にし、人類史上類のない犯罪国家となった歴史を残した。民主党も同じに見える。「怖い」という感じである。

ブッダ「真理のことば」第九章は「悪」という題である。
117 人がもしも悪いことをしたならば、それを繰り返すな。悪事を心がけるな。悪がつみ重なるのは苦しみである。
118 人がもしも善いことをしたならば、それを繰り返せ。善いことを心がけよ。善いことが積み重なるのは楽しみである。
120 まだ善の報いが熟しないあいだは、善人でもわざわいに遭うことがある。しかし善の果報が熟したときには、善人は幸福(さいわい)に遭う。
126 或る人々は[人の]胎内に宿り、悪をなした者どもは地獄に堕(お)ち、行いの良い人々は天におもむき、汚(けが)れの無い人々は全き安らぎに入る。

小沢氏は検察が不公正であると言っていた。その心は「他の政治家もやっているのに。」という思いであっただろう。「清濁併せのむ」ことが必要であるという人がいる。男はそのような考え方は正しくないと思う。結局、小沢氏の‘子分’たちが泥をかぶり、‘親分’小沢氏を守りとおせるだろうか?男は「矛盾はいつか必ずほころぶ」と思っている。

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