2010年4月26日月曜日

ブッダ『感興のことば』を学ぶ(37) (20100426)

市井の一老人として自民党執行部に提案のメールを送った。これが二度目である。自分は自民党員でもなく、民主党員でもなく、過去に自民党候補者に票を入れていたが、今では如何なる政党の候補者に対しても距離を置き、人物本位で良い人物と思える候補者がいなければ棄権も已む無しと思っている。自民党にメールを送ったのは、今のわが国の状況を見ていると何が何でも自民党が生まれ変わって貰ってもらって、健全な2大政党の時代になって貰いたいと思うからである。
政党の本部に名もない一人の年寄りがインターネットでメールを送りつけ、一言申し述べるなど、普通はあまり見かけないであろう。暇人で変人だからやることであると自嘲する。しかし私は高校生の頃、親父に「○○(私のこと)は何をしでかすかわからない。全学連に入ってつまらぬことに熱中しかねない。」というようなことを二つ違いの弟にもらしていたそうである。
実際親父が見ていたとおりのことをしていた。中学生のとき生徒会長に立候補し、朝礼のときなど先生たちが前に並んでいるときに演壇の上に立ってなにやら学校を批判するようなことを言っていたり、校内放送で同様な発言をしていたり、高校の時も生徒会長に立候補して今度は落選したり、社会人になっても上司の机を叩いてまくし立てたりしていた。
このような性格は父親譲りで、もう30年も前に死んだ親父が師範学校を出たばかりの若造のとき校長に向かって「ひげを剃れ」と言ったというエピソードを、葬式の時親父の親友が弔辞で述べていた。その弔辞は和紙に筆で書かれているもので、仏壇の中にあったものをこちらに持ち帰って保管している。
気骨があるといえば恰好よく聞こえるが、誰にも遠慮なしで怖さ知らずで、無礼でもある。そのような性格は私の息子たちも多かれ少なかれ持っている。これは遺伝子のせいであると思う。書き遺されたものを見ると私があったこともない曽祖父もあまのじゃくのようなところが想像される。あまのじゃくなところは孫にもある。3歳の男の子の孫は、やって欲しいことと反対のことを言えば、実際にやって欲しいことをする。
どうもこのような性格は遠い先祖から伝わってきたもののようである。わが家は大友家没落とともに帰農しているが、それまでのことは大事に書き伝えてきたようである。それには一、二か所つじつまのあわない部分があるが、実際にどうであったか類推できる。
昼食前にちょっとテレビのスイッチを入れ、チャンネルを回したらテレビ朝日でソフトバンクの孫社長と仙谷行政改革担当大臣が対談している様子が出ていた。孫氏は、「21世紀は光(情報)の道の時代である。法律でその道の整備を推進すべきである。電子教科書や電子カルテなどで国の財政状況も大幅に改善される。」と熱っぽく語っていた。一方の仙谷氏は、70代、80代の高齢者はついて行けないと反論していた。時代は正に転換期である。
8 自分を苦しめず、また他人を害しないようなことばのみを語れ。これこそ実に善く説かれたことなのである。

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