2011年5月30日月曜日

老々介護の行動計画(20110530)

 男は母の介護について女房とよく語り合った。昔から常にそうであっただろうと思うが、例えば戦国時代の武将は、当時のある意味では企業経営が競争相手によって領地の存続が危機にさらされたとき、その危機の対処について子まで設けた妻との間でいろいろな苦悩があっただろうと思う。そのとき戦国武将たちは何かの決断をし、その結果起きたことについて自ら責任を負ったと思う。また妻たちもそれぞれ決断をして自らの身を処したと思う。それが語り継がれ、後世の作家たちによってドラマが作られ、人々はそれを読みまたは映画を見て何かを感じ何かを得て、それぞれその人生の糧としているのである。

 男は軍隊がある状況に直面したとき状況を判断し、状況に対処するため行動計画を策定し、状況に対処するように、自分や女房に関わる問題の解決をしようと思う。それは軍隊に比べれば針の先ほどちっぽけな状況であるが、ものの考え方は基本的に同じである。

男は母の介護計画の策定にとりかかった。状況の判断において男はフィードバックを重視した。どんなシステムでもよいアウトプットを得るためには負帰還(ネガティヴフィードバック)が重要である。女房ととことん語りあうことはその一つの方法である。

こうして男は先ず二つの方針を立てた。その一つは「人の道から外れないこと」である。母の介護のため田舎に例え一時的にせよ居を移すことが必要になる。そのため男も女房もそれぞれの何かを犠牲にしなければならない。そして何年か何年先かわからないが母がこの世を去った後、少なくとも母の弟妹たちが元気な間は、この田舎の家を守り法事などを執り行い親類づきあいをきちんと行わなければならない。自分たちが世を去った後も先祖の祭祀が継続されるようにしておかなければならない。それが人の道を踏むことである。

もう一つは夫婦が力を合わせてこれまで築きあげたものを大事にすることである。これは第一の方針と同様の重要度をもつ。二律背反にならぬように知恵を絞る必要がある。時間の経過とともに状況は変わる。常に状況を判断しながらこの二つの方針を貫く。そしてその下で行動の実施要領を決定し、それを常に見直しながら実行してゆく。

 一旦行動計画の概要が固まれば、後は実行あるのみである。二つの方針をしっかり守り、フィードバックを得ながら常に状況を判断し、実行してゆく。馬鹿な考え休むに似たり、ただ前に進むのみである。但し柔軟な思考をしながら行動あるのみである。

 男はこのようにして今後痴呆度が徐々に進んでゆく母の介護を行って行くことにした。明日、母は退院する。数日後母をH市の病院に連れて行き、その後数日間様子を見る。その間男と女房は先日母の為買ったaumimamori2によるネットワークと地域の介護システムの関係者と携帯電話によるネットワークを維持しながら、帰宅までの所要時間が数時間の範囲内のところで旅行などをし、45日間母を以前のように独り暮らしさせてみる。そして帰宅し様子を見てその後1カ月間以上独り暮らしが問題なく出来るかどうか判断し、大丈夫と判断されれば次回は8月のお盆休みまで帰って来ないようにしようと思う。

 しかし寒冷期に入る今年の晩秋時期以降は、独り暮らしは無理だろうと思っている。