2011年6月5日日曜日

NHKテレビ番組・若年アルツハイマー型認知症(20110605)

 男は母にアルツハイマー型認知症という病気について説明していた。表現はぼかして、「誰でも齢をとってくると物忘れがひどくなる。アルツハイマー型認知症と言う病気になったらそれが一層ひどくなり、泥棒にやられていなくても‘泥棒に盗られた’と言ったり、お母さんを世話している人に向かってひどいことを言ったりするようになる、そのようなことにならないようにするため昨日お医者さんから薬をもらったでしょう、その薬をきちんと飲んでおけばその病気の進行を抑えることができる、薬は毎朝忘れずにのむように」と言っていた。本当はその薬を飲んでいても病気が治るわけでなない。そう言ってしまえば希望をなくすと思うので、そのことについてははっきり言っていなかった。

 たまたま女房が新聞に出ているNHKのテレビ番組で、午後2時から若年認知症のことについて放送されることを知った。午後3人でその番組を観ることにした。これは偶然と言えば偶然である。朝、母にアルツハイマー型認知症のことについて話したばかりなのに、午後そのことにつてテレビを観ることになった。

男はこのような偶然をこれまで何度も経験している。それは偶然と言えば偶然である。しかし見方を変えれば、それはブッダによる‘必然’である。お釈迦様は、「仏はあらゆる方便をもって衆生を導く」と教えて下さっている。従い、アルツハイマーの母と母を介護する男と女房の3人でこのテレビ番組を観るということは、正にブッダのお導きである。

テレビ番組を観終えて母はアルツハイマー型認知症がどういう病気であるということを理解した。失禁をしてしまったり、歯をみがこうとペーストを付けた歯ブラシをまた元の場所に差しこんでしまい、どうしても歯を磨くことができなかったりと、介護する側が患者の心理を察していろいろ配慮してやっても、患者自身は自分がしたいと思うことが自分の思いどおりに出来なくなる。結局それが欲求不満になって介護する者に対して怒りの感情を爆発させる。それは生身の人間の本能的な表現である。男も女房もこれまで得ている知識以上の知識をこの番組で得ることができた。

男は母に自分たちが明朝横浜に帰ることを伝えた。母は男に「あんたたちに迷惑をかける、ごめんね」と泣きながら言う。男は母の肩に手をやり、「安心しな、わしらがよく看るから心配は要らん、明日一旦横浜に帰るがまたすぐ戻ってくる、自分の部屋でテレビを観ながらちょっと昼寝をしな」と言ってひとまず安心させた。

後ろ髪を引かれる思いはあるが、母がヘルパーなどの支援を得ながら独り暮らしを出来る間は、なんとか頑張ってもらわねばならぬ。女房を一旦この現場からを離れさせてリフレッシュさせないと先が続かない。昨日男は一つの部屋を男専用の部屋にするため書棚の中にあって何十年も埃をかぶっているものを撤去し分類して箱詰めにし、別の場所に移し、書棚の中をクリーニングして、老々介護‘単身赴任’時、自分が必要な本などを入れられるようにした。母の介護体制を徐々に準備しておかなければならない。次は女房の居場所を作ることである。男は寅さんの「男はつらいよ」の気持ちが分かる。