2012年4月23日月曜日

金婚式の旅行計画は延期(20120423)

 男は婆さんを施設に入居させたら長崎・佐世保・平戸旅行をして横浜に帰る計画であった。これは男と女房が大分のある料亭で祝言を挙げてもらってから50年経った金婚式の旅行計画であり、子供たちからそのお祝い金を頂いていた。しかし、その考えは甘かった。男と女房は毎日婆さんが入居している施設に通っている。婆さんが其処を完全に終の住処として満足に暮らせるようにするためと、婆さんがこれまで独り暮らししながら守ってきた家屋敷の手入れなどで男と女房は日々忙しく働いている。

今朝男は町役場に行き婆さんの住所変更手続きを行った。健康保険証・介護保険証などの住所表示を変えてもらった。郵便局本局に行き、婆さんがこれまでショートステイしていた場所に郵便物が届くようにしてあったものを変更する手続きを行った。婆さんの部屋のロッカーの脇で婆さんがベッドから出て立ちあがったと、すぐ衣服の取り換えができるような場所にハンガーを掛けられるように市販のハンガーかけ建具を加工して取り付け、その後婆さんの入居に関する契約手続きを行った。お天気が良いので女房は婆さんを車いすで散歩に連れ出した。婆さんはその施設備え付けの車いすを初おろしするという‘光栄’に浴した。行き先は婆さんがまだ分かった頃訪れたことがある近くの公園である。旧城下町・風光明媚で鶯その他の野鳥がさえずる山郷にある公園である。男は女房の後を追い、車いすの乗っている婆さんとその車いすを押している女房の写真を静かなレトロっぽい街並みを背景に何枚か撮った。これは印刷して明日婆さんのところに持って行く。

男は家の周りの小さな雑草をむしり取りながら思う。この家は親父が建て、婆さんが60歳頃夫である親父と死に別れて以降、独り暮らしを続けながら守ってきた家である、親父と婆さんの思いがこもった家屋敷である。山水を模した小さな庭もそれなりに立派である。親父は長男であったが家督のことは末弟に後を託し、この地で生涯を終えた。男から見れば祖父以前の先祖代々住んだ土地とこの地の両方にまたがる先祖の繋がりを、男の子孫に伝えなければならない責任がある。そういう意味で地区40年ほどのこの家は大切に守って行かなければならない。この家のことで行っておかなければならぬことが沢山ある。竹馬の友らと会おうと思っていたが、その時間的余裕がない。その友は友で体調を崩している。竹馬の友数人で会うことにしても、誰かが体調を悪くしているという年頃である。

金婚式を兼ねた旅行は先延ばしとなったが、男と女房はあと数日この家で暮らす。連休前に一旦横浜に帰る予定であるが、まだ利用する飛行機か新幹線の切符は取っていない。状況によっては連休に帰ることになるかもしれない。連休に入ると切符は取れない可能性がある。男は取りあえず女房だけ先に帰すことも考えている。一人分なら切符はどうにかなるだろう。この考えは甘いかもしれぬ。男はスマートフォンを無線ルーターにしてパソコンを繋ぎインターネットで調べてみた。今のところ27日の航空券・新幹線とも二人分の切符は取れそうである。