2011年5月25日水曜日

見守り機能付き携帯電話を持たせたが・・ (20110525)

 mimamri2という子供用の携帯電話にはメール機能が付いている。90歳を超えた年寄りにはこの機能は要らない。また留守電話機能も要らない。画面表示ももっとシンプルがよい。男は母にこの携帯電話を使い慣れさせようといろいろ苦心している。そばに付いていて細々教えればそのとおりできるが、痴呆になりかけている母にこの携帯電話を使い慣れさせるのは一苦労である。

 母は男だけが帰っているときはそうでもないが、女房が一緒に帰っているときは自分でやれることでも何でも女房にやってもらえるので、女房に頼り切ってしまう。それでは、折角なんとか自立して暮らしていることが出来なくなってしまう。

女房自身もある意味では嫁の立場と全く同じようなものであるが、生来の優しさで母の面倒をよくみている。普段ヘルパーとかお互い年老いてしまったためたまにしか顔を見せない近所の人ぐらいしか会話の相手がいなくなってしまっている母は、女房がいるときは何度も聞いている話をくり返してしている。女房もそのような母が可哀そうになって、毎度同じ繰り返しの話を良く聞いてやっている。それは女房の心労を一層深めることになる。

女房は母がいずれは介護を受けることになると思って、50代のころホームヘルパーの資格をとってずっと年老いた人たちの世話をしてきた。その間放送大学で福祉関係の知識を身に付け、介護福祉士の資格もとった。その思いの心底は本人には分からない。第三者でないと深層の心理はわからない。3歳の時自分の父親を病気で失い、4歳の時今世話している母と別れて暮らしてきた女房の心の奥のことを、男は理解しているつもりである。しかしそのことは誰にも理解できないことだろうと男は思っている。

赤の他人の嫁の立場なら、女房は良い思い出の無い土地で母の面倒を看ようなどと思わないだろう。そのような原因になることが何度も女房は経験している。それでも母を一生懸命看ようと思うのは、女房が口癖のように言っている「自分が後悔しないため」である。それに80歳を過ぎた女房の実の叔父叔母から自分の姉である母のことを託されていることもある。男はこの家の長男であるという立場もある。

男は在宅介護の事業所の担当者と話して其処に一通のFAXを送った。その内容は母には何度も教えたのであるが、母がmimamri2という携帯電話を良く取り扱えないので訪問してくれた時には挨拶代わりに、「散歩や買い物で外に出るこの携帯電話を必ず首に下げて行くように」とか「この携帯電話のベルが鳴ったときは耳元にこの携帯電話を近づけるように」とかいったことを挨拶代わりに一言話して欲しいというというものである。

母が住む町でつい最近80代の女性が家をでたまま数日を過ぎても行方不明になっていて、町内防災放送などで何度もそのことが放送れていた。そのようなことに母がならないように母が出歩く時には必ずこの携帯電話を持って行って貰わねば、折角の機能が何の役にも立たないことになってしまう。横浜に戻って来た男は自分の携帯電話機で母の所在、つまりmimamri2の所在を確かめた。それがいつも同じ場所になっている。困ったものである。