2012年4月26日木曜日


また左上腕が痛くなった(20120426)

 今日も午後婆さんのところに行った。婆さんは今日は自分の部屋で寝ていた。昼食後いつもならUさんと同じ話しを繰り返しているのであるが、今日は疲れたのであろう。男と女房が婆さんの部屋で婆さんと話していると施設の若い男性職員がお盆に湯のみを三つ載せて持って来た。梅茶が入っている。その職員は「お茶を入れてきます」と言っていたが女房は「いえ、結構です、お茶を持ってきていますから」と礼を言って丁重に断っていた。田舎の施設に働いている人達は皆心が温かい。

 今日で婆さんとはお別れである。3時のおやつの時間なので婆さんをダイニングルームに連れ出す。「明日、横浜に帰るからね。また来るからね」と女房は婆さんにお別れの言葉を言う。男は婆さんの肩を抱いて「また来るからね」と言う。婆さんは泣き声で「長生きしてごめんね、あんたたちに迷惑をかけてごめんね」と言う。ダイニングルームで婆さんの話し友達のUさんがにこにこしながらこちらを見ている。さっきまで涙声だった婆さんはもう男と女房のことは忘れてしまっている。「年寄りは子供」というが痴呆になると子供と同じである。初め男は「婆さんは淋しがるだろうなあ」と言っていたが女房の言うとおり年寄りは子供である。男は気が楽になった。

 今日のブログはパソコンを膝の上に置いて、右の中指だけで書いている。左の上腕が痛むためである。痛む原因は、今日婆さんの所に行った時を除いて庭の手入れなど野外作業で痛む腕に負担をかけたからである。松の木の枝先に白いカビがいっぱいできていてそれを粗方はがす作業をしたり、魚粉入り油粕を買ってきて根元に巻いたりした。これまで婆さんが一人で庭の手入れをしてきたが、婆さんが施設に入居したあと男は父親が残したこの家屋敷をよく守らなければならぬと思い、その作業に精を出すようになった。男は父親の命日である6月下旬、一人で帰ってくることにしている。
 
ところで昨日「ミトコンドリア遺伝子3代」と題して書いたが、良く良く考えて見ると決して3代という短さではないことに思い至った。女房の祖母には当然母親がいた。その母親にも当然母親がいた。そのようにして20万年前の一人の母親に辿り着く。一方、男の実妹でもある女房の妹の母親は今施設に入っている婆さんである。その妹には娘がいる。その娘も結婚して娘の母親になるかもしれない。
 
原始の時代、ミトコンドリアとY染色体は別個の生物だったものが何かのきっかけで同じ細胞の中に一緒に入り、子孫を残すことになった。ミトコンドリアにとってY染色体は子孫を残すためにひつようであったのだ。いろいろ考えると女性は生き残るため欲張りでずるく振る舞うように元々できているのだ。女性にとって家系などどうでもよいのだ。ところが男性は真剣努力しなければ生き残ってゆくことは出来ない。男が家のことを真剣に考えるのはそのせいである。