2011年6月2日木曜日

行方不明になったある老女の話(20110602)

 ある町である独り暮らしの老女が散歩にでたまま行方不明になってしまってもう10日も経つという。その老女が山に向かう道を独りで歩いている姿を見かけた人がいるという。人の噂話には尾ひれがついていて、実はその老女は息子との折り合いが悪く、老女は世をはかなんで死を選び、自ら山林に入り込んでしまったのだという。

そういうこともあったかもしれない。息子は都会暮らしをし、その息子が連れ添った妻と息子の母親とは馬が合わなかったかもしれない。姑と嫁は年齢はもとより家庭環境も文化も違う。その上女同士で反発しあう。昔は姑が強く嫁は泣きながら姑に仕え、夫は勤めに出て家のことは嫁にまかせっきりで良かった時代であった。そのような時代なら息子は妻から泣かれたとしても突き上げられるようなことは無かったかもしれない。

しかし時代は変わって‘女’へんの‘家’と書く嫁はいなくなった。そもそも女は他家の者になるのではなく、夫と新たな所帯をもち、夫と力を合わせて一つの家庭を作り上げてゆくものである。そういう時代であるから息子はいくら自分の生母の老後を良く看たくても妻が同調しない状況が必然的に起きる。ところがその息子の親の世代、おおむね80歳以上の年代の女は一般的に古い考え方をする。その上自分の老い先は誰にも頼らず自分で処するという能力ももっている人は少ない。今は過渡期であろう。

 男は独り暮らしの92歳の継母がその話の老女と同じようなことにならないように、いろいろ対策を講じている。認知症の症状が進んでくると散歩に出たまま何処かとんでもないところに行ってしまうかもしれない。そのとき「ああしておけば良かった。こうしておけばよかった。」と後悔しても遅い。何でもそうであるが最悪のことを想定した事故予防対策を講じるための費用と時間を惜しんではならない。一旦事故が起きればその処理のためにその倍以上の費用と時間がかかるものである。‘想定外’は不誠実な言い訳に過ぎない。

 男は母が外出するとき押して行く車にaumimamori2というGPSで居場所がわかる携帯電話を取りつけた。これは母がこの押し車を押して外出するときは、男が横浜に居ても母の動きがわかるようになっている装置である。問題はこの電話機のバッテリーがあがってしまわないように、時々充電をする必要があることである。男はその充電を時々ヘルパーさんにお願いしようかと考えている。ヘルパーの作業指示書の中にそのようなことを書いてもらうことはできないかどうか、ケアマネージャーに相談してみようと思う。もっとも、この携帯電話機は不使用のときは電力消費を極力抑えるようになっている。電源オフという機能があって見た目には電源が切れているように見えるが位置は確認できる。

 そのうち男は74にもなって単身赴任のサラリーマンのようにこの家にちょっと長く滞在したり、女房がやってきて男と交代したり、この家で母と男と女房との3人暮らしをちょっとだけ長くしたりするような生活をしなければならなくなるだろう。その間にショートステイなど公的介護サービスをうまく利用しながら、時には男と女房の二人だけの暮らしを確保する。そのような期間はそう長くはないと思うが決してゼロにはならないだろう。