2010年4月29日木曜日

ブッダ『感興のことば』を学ぶ(40) (20100429)

このブログで自分の写真とともに若干の個人的情報を含むプロフィールを公開していることについて考えてみる。
初めのうちは極めてひかえめであったが今のようにしたのには理由がある。一つは70歳を超えてあの世に向かって突き進んでいる今となっては何も恥じることも隠すこともないと思ったことである。これまで生きてきたが天皇陛下や内閣総理大臣からは到底あり得ないにせよ、せめて自治体の首長からでも何か表彰を受けるような社会的貢献をしてきたのではないし、若い時に何処かの大学生活をして卒業して社会に出てサラリーマン生活を送ってきたわけでもないし、なにか著作があるわけでもない。社会に向かって何か自分を飾って見せる必要は全くないのだ。
あの世に向かってもう少し勉強しよう、そして私がやがてある日この世を去ったあとでもこの世を生き続ける子や孫たちに私が生きた証を遺し、多少の教訓を垂れておきたい、そう考えて、毎日が日曜日のような暇にまかせて「随筆」というのもおこがましいがこの『日々是支度』を毎日書き続け、毎月予め決めてある吟題の詩吟をブログ『吟詠』で公開し、週1回陶芸をやり、その作品で気に入ったものなどが出来たとき英語の勉強も兼ねて『Ceramic Art』で発表している。
この4月から放送大学に再入学し、「分子生物学」と「生物界の変遷」の2科目をとって勉強している。その目的は私が多少学んでいる仏教の哲理がこの最新の科学と融合するところはないか探ってみたいからである。その目的のためにBiglobeで「現代の自然観と仏教」というタイトルのブログを出している。
私の仏教への思い、「仏教は人々の悩みを救う」という思いを、私なりのやり方で少しでも多くの人に知ってもらって、何かを得てもらえれば、私も多少なりとも世の中の役に立つと考えた。しかし、実際に役に立っているかどうかについて知りたいとは全く思わない。勝手に自分の思いを公に出して、自己満足しているだけである。
だが、物騒な世の中、あまり自己をさらけ出すのは考えものである。プロフィールについては修正を加え、写真も削除し、公開も限定することにした。
ブッダ「感興のことば」第9章は途中飛ばして第10章「信仰」に移る。
1    信ずる心あり、恥を知り、戒めをたもち、また財をわかち与える。これらの徳行は、尊い人々のほめたたえることがらである。「この道は崇高なものである」とかれらは説く。これによって、この人は天の神々の世界におもむく。
2    物惜しみする人々は、天の神々の世界におもむかない。その愚かな人々は、分かちあうことをたたえない。しかしこの信(まこと)ある人は、分かちあうことを喜んでいるので、このようにして来世には幸せとなる。
*「信(まこと)ある人」は、教義を信仰する人という意味ではなく、「心のすなおな人」の意である。

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