2010年12月11日土曜日

先端医療保険(20101211)


  保険会社Aflacから先端医療の保険について案内が送られてきた。昔、老妻がある会社に勤めていたころ会社の総務の方に勧められて入っていた新がん保険はまだ継続中であるが、それに加えて医療保険ではカバーしない先端医療の保険に加入することを勧めてきたのである。先端医療は固形がんに対する重粒子線治療、固形がんに係る悪性腫瘍に対する陽子線治療などである。これらは現在のところ医療保険の対象外である。

  保険というものは安心のため加入するものである。そのため一定の費用がかかる。家計も国の予算と一緒で、何に重点的に予算を振り向けるかということが重要である。あれもしたい、これもしたい、あれも要る、これも要るでは予算は幾らあっても足りない。老人はこの先端医療保険に加入するため一部のある交通傷害保険を解約することにした。それくらいではまだ足りない。その他いろいろ仕分けをし、支出を切り詰める必要がある。

  保険というものは本人が生きておれば自分がどんな保険に入っているかということは分かる。しかし本人が死んだら遺された者は予め手元に情報を持っていない限り分からない。例えば老人と老妻は年末年始田舎で介護を兼ねて過ごすが、その旅行のため利用する新幹線のチケットは国内の旅行で事故死した場合支払われるよう、チケットの代金はその保障があるカードで決済した。しかしそのことを子たちにはまだ知らせていないので、万一のとき彼らは余計な労力を払わせることになる。そこで老人は自分と老妻が入っている保険の内容を一覧表にまとめた。それを子たちに送っておくことにした。

   しかしそれだけでは不十分である。老人はある葬祭業の会社と契約していて一切の費用は払い込み済みである。そこへ連絡すれば映画『おくりびと』ではないが、全てうまくやってくれるようにしてある。二人の戒名も既にもらってある。それぞれ相当立派な戒名である。しかし何処かの寺に葬儀に来て貰うようにするとその戒名では出来ないと断られる可能性はある。そこで折角契約し、払い込み済みであるその葬祭業者と生前に打ち合わせておかなければならない。遺影の写真の準備や連絡先など、生前きちんとやっておくべきことは沢山ある。普通、それらのことは遺族が大変苦労して行っているのが実際である。

  「立つ鳥跡を濁さず」である。人は早かれ遅かれ必ず「あの世」に行く。そのことを他人事のようにして日々を送るのも人生、わが事のようにして日々を送るのも人生である。一日を一生のように思い、その日にできなかったことを次の日に行い、やり残しをできるだけ減らしてゆくように日々を送る方がしあわせである。

  そのように思い、今日一日を送ったとしても、明日白骨となるかもしれない。「そんなのは嫌じゃ」と快楽に耽り、一時の悦楽で忘我しても、時が経てば空しさだけが残るだろう。確か『地図が読めない女、説明しない男』という名前の本だったと思うが、以前、老人は本屋でそれを立ち読みしたことがあった。自分の人生が見えないのは「地図を読めない」のと同じである。つまり男であっても女々しい男である。

  ではどうしたら自分の人生を見とおすことが出来るだろうか?答えは、誰も自分の人生を見とおすことができないのだ。ただ、「誰でも早かれ遅かれ死ぬ」ということだけは誰でも理解できる。「地図を読めない」男女はお寺で坊さんの話を聞いた方が良い。

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