2009年11月24日火曜日

100歳のお方からの贈り物(20091124)

 男の家に毎年この時期になると大箱に何段も詰めたリンゴが送られてくる。信州リンゴである。送り主はもうすぐ101歳になられるお方で、東洋医学の権威である。ご自分の孫のようなご婦人などの体の不調を診てやっている。そのお方は奥様も診てあげていて、奥様もご高齢であるがお元気である。

 ある日男と男は女房と二人でそのお方のご自宅を訪れたことがある。都内の清閑な住宅街の一角にそのお方は住んでおられる。訪問の目的は、そのお方に男と女房の戒名を授けて頂こうと手紙を書いたら、一度奥さんと一緒に遊びに来るようにと言われたからである。そのお方は僧侶でもあるので、求める人に戒名を授けることができるのである。

 そのお方からの年賀状には男の名前と「ご令室様」と達者な筆字で宛名が併記されている。勿論男もそのお方に精一杯丁寧な字で書いた年賀状を差し上げているし、盆・暮れの贈り物もしている。そのお方は静岡に本拠があるお方であるので、男の家にも毎年新茶を届けて下さっている。男は72歳になっているとはいえ、そのお方から見ればまだまだ青二才である。しかし、男はそのお方と親しいお付き合いをさせて頂いている。

 そのお方は男の父親と生まれ年が同じである。男はそのお方に、男の父親が男が42歳のとき白血病で死んだことを話したことがあった。男の長男はもう45歳になっていて、彼の祖父、つまり男の父親が死んだときの男の齢を超えている。男はそのお方のように長生きはしないだろうと思っている。しかしすでに男の父親が死んだ齢を超えている。

 男がそのお方と同じ齢になるにはあと29年生きなければならない。そのお方は東洋医学の権威であるので100歳を超えてもまだ矍鑠として病む人の治療にあたっておられる。かつ僧侶としてもご活躍しておられる。男にはそのような才能もないので人々の幸せのため何かしたいとは思っているが、何もできずにいる。また何か人のためボランティア活動でもして社会的諸関係を新たに作ろうという気持ちもない。何故なら社会的諸関係を作れば、そのために自分の自由な時間が制限されることになるからである。

 しかし希望はある。夢窓疎石ではないが、「一日の学問 千載の宝」である。古の、また今の仏教徒が仏教の学問をしているように、仏教について学ぶことは楽しみである。それも気が向く時に、あるいは何かのきっかけで関係の書物を手にしたり、得た知識を文にまとめたりする楽しみである。自己満足である。しかしそれで満ち足りる。今さら仏門に入ることはできないし、入る気もない。いつも長年連れ添った女房に感謝し、女房を愛し、日々の暮らしで女房に幸せを感じて貰えるように努力し、何かあったとしても菊池寛の『恩讐の彼方に』ではないが「償いの奉仕行」のつもりで行うことに心がけている。そのようなことが実際にできていることを先祖の霊に感謝している。

 そのお方にも天寿を全うされる時期は訪れる。そのとき男はまだ生きているかどうかわからない。女房は「私は何も思い残すことはないからいつ死んでもよい」という。男は「お前は俺より先に逝ってはならない」と言っている。しかし仏は男と女房に方便をもって何か教えることがあるかもしれない。例えば入院しなければならない病気になるとか、何が‘方便’として起きるか判らない。生きている限り四苦八苦はつきまとう。それが人生なのだ。女房はNHKテレビスペシャル番組『立花隆がんの謎に挑む』を観ている。今はともかく何事もない平穏無事な時が流れている。合掌。