2010年7月26日月曜日

ブッダ『感興のことば』を学ぶ(128) (20100726)

これからいろいろやっておかなければならぬことがある。

ひとつはわが家の遠い先祖に関することをA4用紙3枚程度にまとめ、印刷し。従兄弟・従姉妹たちに配ること。特に子供のときしか会っていない従弟でわが家と名字が違う者には傍系であるがわが家のY遺伝子が伝わっているので、彼には良く話しておかなければならない。来月お盆の時期に一部の従兄弟・従姉妹が顔を合わせる機会があるので、そのときがわが思いを実行するスタートの機会となる。

もう一つは男及び女房個別に、幼い時からの写真とともに生涯の主な写真と説明文を作り、コンピュータに保存しておくこと。これは男及び女房がいずれかの日あの世に逝ったとき、子たちが男及び女房の人生を見ることができるようにするためである。

女房は、自分の葬式はごく限られた身内だけで行うのがよいと希望している。男も同感である。その日が何年後か何十年後かわからないが、葬式に一切の見栄は望まない。その時、子や孫たちが、男が遺したコンピュータ内の資料を開いてどのように見るかということはどうでもよい。自分の一生の締めくくりをきちんとしておくことが男の作業の目的である。

このように目標を定めて、余生は天寿を全うするように大事に生きる。生きている間をできるだけ幸せで楽しい美しいものにするよう努力する。「一所懸命に生き、一所懸命に死ぬ」これが素晴らしい生き方であると男は思っている。

昨日(25日)は大分駅前から高速バスで約1時間で大分空港に着いた。途中美しい風景を眺めた。車中、女房はまだ若いころ帰郷時親代わりのようにしてくれた叔父叔母がいつも車で空港まで送ってくれて、いろいろ沢山の土産物を買ってくれて、飛行機の出発まで時間があるときは途中杵築の町に立ち寄ってくれて城などの観光見物をさせてくれたことを男に話してくれた。昨日その叔父叔母の孫が結婚式を挙げ、夕刻よりその披露宴が行われたのである。男と女房が自分たちの孫の結婚式まで生きているどうかはわからない。多分生きているだろう。しかし今3歳の孫のときはどうであろうか。

ブッダ「感興のことば」はそろそろ終章に近づく。今年1月23日から始めた『ブッダ「真理のことば」をまなぶ』に続き「感興のことば」も学んできた。この「ことば」は約2500年前釈尊が語られたことを記録したもので、その後仏教の教学が確立する大本になったものである。「真理のことば・感興のことば」の中でその仏教の教学に直接かかわることばについては、やや難しいのでこのブログではあまり取り上げなかった。この『「感興のことば」を学ぶ』を終えた後、教学に関する部分を学びながらブログを書き続けようと思う。

「まとめの句」:

(1)無常と(2)愛欲と(3)愛執と(4)はげみと(5)愛するものと・・・途中省略・・・(30)楽しみと(31)心と(32)修行僧と(33)バラモンと、―――これらの33であると伝えられている。正しく覚った人の説かれたこれらの章とまとめの句が終わった。

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