2010年5月3日月曜日

ブッダ『感興のことば』を学ぶ(44) (20100503)

人はその一生において予め定められた役割というものがあると思う。それは運命のようなものである。それは天地神明に誓って誤りのない正しい役割である。もしその役割を当の本人が気づいていれば、彼または彼女はその役割を果たすため最善の努力をするだろう。NHK大河ドラマで『篤姫』というものがあった。篤姫はその典型である。
歴史に名を残すことのない無名の庶民であっても、例えばある人が父親となり母親となり、自分の子供を立派に育て上げ、社会に送り出すことは、自分たちに課せられた役割であると自覚しておれば、彼らはその役割を果たすために真剣に努力するであろう。
自分に課せられた役割が何であるかということを、まだ幼いころから親に言い聞かされていれば、その子は成長するに従っておのずとその役割を果たすべく努力するようになるであろう。此の親にして此の子ありである。
かつて女性は嫁として他家に入り、親子三代の家族が同じ屋根の下で暮らしていた頃は、家風というものが子供に自分の役割を自覚させることができたと思う。勿論、どの家庭でも皆同じようであったというわけではない。しかし、子供の特性をよく見抜き、その特性を伸ばすように家族の皆が考えるような家風があるところでは、きっとその子供は立派に育ち、成人して期待どおりに役割を果たす人物になるに違いない。
息子の特性を無抜き、息子の将来を考慮して「お前、あれと一緒になれ。」と言った父親の言葉に従い一緒になった。その女性は夫によく尽くし、家庭をよく守り、息子たちを立派に育て上げた。自ら気づくことなく滅亡しかけた名門旧家を立て直すため貢献した。その父親は無意識のうちに家系の立て直しを息子とその女性に託したのであるが、その無意識はこの世にいない遠い先祖の願望であった。
現代人は目に見えない世界のことを信じない。頭脳の深奥にある動物的な欲望に支配されて、他者を押しのけ、陥れ、法を犯してまでも自分の欲望を満たそうとする。しかし目に見えない世界からの声を聞き、正直に、まじめに努力する者には、「偶然の幸運」も決して偶然ではない。それはそのとおりになるべくして起きた幸運であると信じ、その幸運を与えてくれた目には見えないものに対して素朴な感謝の気持ちを捧げる。
ついでながら、よく世間に「似た者夫婦」という言葉がある。結婚相手に「親に似た人を連れてくる」という言葉がある。仲の良い夫婦は年輪を重ねるにつれてどことなく雰囲気が似てくるものである。動物がお互い気に入った相手としかつがいにならないのは遺伝子の仕組みがそうさせるのだろう。人間でも同じである。芸能界で良くみられるように、極端に違うカップルは長続きしない。情報通信・交通の発展につれ結婚する相手の範囲が広がっても、遺伝子的に折り合わない者同士の結婚は結果的に少ないと思う。
ブッダの言葉を聞き、修行を心がける者は、誰でも幸せな人生を送ることができると思う。
7 「一切の形成されたものは空である」と明らかな智慧をもって観るときに、ひとは苦しみから遠ざかり離れる。

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