2010年2月7日日曜日

ブッダ「真理のことば」を学ぶ(16(20100207)

第十章 暴力
131 生きとし生ける者は幸せを求めている。もしも暴力によって生きるものを害するならば、その人は自分の幸せをもとめていても、死後には幸せが得られない。
132 生きとし生ける者は幸せを求めている。もしも暴力によって生きるものを害しないならば、その人は自分の幸せをもとめているが、死後には幸せが得られる。

釈尊は過去世が有るとか無いとか来世が有るとか無いとか形而上学的な論議をすることを戒められて「無記」とされた。そういうことを議論するのは実践上全く役立たないからである。しかし、上記のように死後の世界のことを述べられている。昨日書いた「126 或る人々は[人の]胎内に宿り、悪をなした者どもは地獄に堕(お)ち、行いの良い人々は天におもむき、汚(けが)れの無い人々は全き安らぎに入る。」ということばの中にも死後の世界のことが語られている。男は釈尊は深い瞑想により時空を超越して過去から未来まで見ることが出来たのだと思う。そしてそのことを男は堅く信じている。
しかし男は、いわゆる何かの宗教を‘信仰’するということではない。釈尊をはじめ釈尊のお弟子さんたち、そして仏教を学び修行し、ある高いレベルの状態に達した高僧たち、例えば鎌倉から南北朝の時代、北条家、足利家、後醍醐天皇から深く帰依され、世に七朝の帝師と仰がれた夢窓国師が語られていることを少しも疑わず、信じているだけである。男が何度も読む『夢窓国師 夢中問答集』(講談社学術文庫)という本の中で良く出てくる言葉は「今生」とか「前世」とか「来世」とかいう言葉である。夢窓国師はこの問答集の中で「人界(にんがい)に生(しょう)を受くる人、貴賎異なりと云ふとも皆これ前世(ぜんせ)の五戒十善の薫力なり。」と述べておられる。
男は、仏(ブッダ、釈尊)と法(ブッダによって説かれた教法。Dharma、ダルマという。)と僧(ブッダに代わって民衆に仏教の理論や実践を伝え、民衆を指導教化する出家者の団体。sangha、サンガという。)(以上『仏教要語の基礎知識』(水野弘元著、春秋社)より引用。)、つまり‘仏法僧’を心から敬うことの幸せを感じている。
ところで、5日、衆議院予算委員会で自民党の石破氏と伊吹氏の発言とその発言を真摯に受け止めていた鳩山氏始め各閣僚、そして多少の不規則発言はあったが、伊吹氏の時には殆どそのような発言は聞こえず民主党の若い議員たちもよく耳を傾けていた状況を見て、男は日頃不安に感じていた気持ちがかなり和らいだ。民主党には党の綱領もなく、同好会や運動部のようにリーダーの指示に従い、この国を何処に持って行こうとしているのか判らない不気味さが漂っているが、それが特に長老伊吹氏の発言で幾分晴れてきそうな感じに思えた。伊吹氏は‘若い’宰相鳩山氏を‘爺’のように諌め、導いているようであった。石破氏は政権を取ったばかりで経験の浅い民主党議員、鳩山氏始め閣僚たちに、‘教師’が生徒たちを指導しているような感があった。男は今夜は心地よく眠れそうである。

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