2010年1月9日土曜日

「至善」に生きる(20100109)

街を歩いていると「○○経営事務所」とか「△△経営研究所」とかの看板を掲げている家を見かけることがある。男はこの人たちは何の経営について事務を行ったり、研究したりしているのだろかと疑問に思う。おそらく株の取引をしたり、一定の金を払って手に入れた名簿をもとに株や金などの取引について話を持ちかけたりしているのだろう。ある日、その看板を掲げている家から70近くの一人の男が出て来た。見ると青白い顔をしている。家の中にばかり閉じこもってばかりいて陽にやけていないためだろうと思う。
男もこのところ田舎に帰っていて外歩きをしていなかった。田舎に帰る前ごろから鼻風邪に罹っていて、多少健康を害していた。その中女房も風邪を引いた。大晦日に男は「小青龍湯」という漢方薬を飲んで鼻水を抑えていた。元日には雪が降り、日中気温は零下6度にも下がっていた。あまり太陽に当たらずにいた。鏡をみると青白い顔に見える。女房も元気がない。体温は微熱であるからインフルエンザではない。
太陽に当たり、晴耕雨読の日々をおくるならば健康的であるだろうが、老老介護のように70前後の夫婦が90代の婆さんの世話をするため盆・正月に田舎に帰るのは健康的ではない。女房は昨年の盆に帰省以後体調が芳しくない。男もアップロードした自分の吟声を聞いてみると昨年の盆ごろからの声には、気のせいか張りがないように感じる。
これではいかんと、今日もお天気が良いので体調回復の自主トレを始めた。昨日も家の近くの川の土手を一周したが今日も同じことをした。今日はさらに川べりの葦の茂みの中を分け入り、後ろの道をウオーキングする人から見えないように奥の川面の傍に出て、そこで発声練習をし、西行の『至善』などの吟詠をしてみた。
初めの頃は高音域になると声量が低下し声音が響かない。しかし徐々に良くなった。何日も大きな声を出さずにいると発声に必要ないろいろな筋肉が衰えてくることはこれまで経験的に判っていた。しかし、この2週間以上、田舎に帰っていたこともあり声を出すことを憚っていた。しかし今日は川に向かって大きな声を出した。葦の茂みに遮られている道を歩く人達には男の声は良く聞こえている筈であるが、男の姿は見えない。誰が声を出しているのかとわざわざ覗きに来る人も居なかった。川の向こう岸ではアオサギが1羽じっと川の面を見つめている。野良猫が1匹、そばで小魚でも捕ろうとしているのか体を低くして川面を睨んでいる。それを見つめながら男は吟声を出して詠った。
新聞には小沢氏が4億円の出所について検察から事情を聴取されることになりそうであると書かれている。前にもこのブログに書いたが検察がきちんと公正に調べれば、小沢氏は失脚することになるだろう。(関連記事:「鳩山首相の緊急記者会見(20091226)」)
男は政局に関心を持ちながらも加齢とともに日々余計な時間を費やしたくない。ひたすら自らを拠り所として仏の教えを学んでゆきたいと思う。そう思って書棚から筑摩書房刊、中村元編『原始仏典』など仏教関係の蔵書を毎日少しずつ読んでゆこうと思う。釈尊は「自らを洲(しま)とし、自らを拠り所として、他を拠り所とせず、法を拠り所として、他のものを拠り所としない」(『大パリニッパーナ経』二・二六)(NHK市民大学『釈迦とその弟子』1988年より)という。今年からは、男は西行の『至善』のように「一日を一生として」生きることの素晴らしさをじっくり味わってゆきたいと思う。(関連記事:「詠って元気になる「至善」(20091225)」)

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