2010年3月21日日曜日

ブッダ『感興のことば』を学ぶ(1)(20100321)

ブッダ「真理のことば」の詩は全部で423あった。長い日数をかけてゆっくり読んでいったが、私なりに得るところは非常に多かった。今から約2500年前のお釈迦様の語録であるパーリ語の原典『ダンマパダ』が中国の三国時代(220280年)の呉の国で漢語に翻訳されたものが『法句経』である。中村元や友松円諦ら現代の学者はその『法句経』を参考にパーリ語やサンスクリット語の原典から再翻訳したものが『真理のことば』である。これまで「真理のことば」と書いてきたが、釈尊の語録として『』で囲むべきであった。
今から約700年前夢窓疎石という人は「一日の学問千載の宝、一書の恩徳万玉に勝る」と足利氏ら当時の指導者に説いている。今に生きるわれわれ日本人はこのような先達に恵まれていることを大変有り難く思わなければならないと思う。(関連記事:2009102日金曜日、「夢窓国師の作詞『修学』(20091002)」、関連吟詠:http://takaban.seesaa.net/2月の吟題『修学』(夢窓疎石)」)
情報過多で巡るましく変わる現代社会にあって、われわれはとかく自己を見失いがちである。かくいう私自身もそうであった。今毎日が日曜日のように日々を過ごすことができる身分になって、初めて先達の有り難さが身にしみて分かるようになった。
今から約800年前、西行は「一日を一生として興究(きょうきわま)りなし、老楽はただ至善を行うにあり」と詠った。古の賢人たちは「幸せな生き方」の根本がブッダの教えにあるとよく分かっていた。(関連記事:20091210日木曜日、「老楽は唯至善を行うにあり(20091210)」、関連吟詠:http://takaban.seesaa.net/1月の吟題『至善』(西行)」)
そういう人たちは若い時から先輩の教えに導かれ、勉学にいそしみ、自らに厳しく修行し、その結果会得し、そして会得したとおりに無為自然のうちにできるように体得し、最も幸せな生き方が何であるかということを書き物により後世に遺した。そのような本当の宝が今を生きるわれわれの手の届くところに散らばっている。それを求めようと思えばすぐ手に入る。こんな有り難いことはないのだ。日本は有り難い国なのだ。
私はその宝を大事に頂きながら、現代人の精神の混迷を無くす道が何であるか探ってゆきたいと思う。まるで視力を失った人が象をなでてそれが何物であるか分かろうとするようなものである。私にとってとてつもなく大きな課題である。

ブッダ『感興のことば』第1章の題は「無常」である。
冒頭に「円満な完成!」と書かれている。
1      この世で、心が暗くふさぎ込んで眠くなるのを取り除いて、心を喜ばせ、勝利者(=仏)の説かれたこの感興のことばをわれは説くであろう。さあ聞け。

訳注によれば、『感興のことば』はブッダが感興を催した結果、問われないのに自ずから表明された言葉であるとされている、とある。

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