2010年7月11日日曜日

ブッダ『感興のことば』を学ぶ(113) (20100711)


午前中また川の周りを散策した。高啓の「胡隠君を尋ぬ」さながらに、川沿いの路を歩き、橋を渡り、また橋を渡り、路沿いに咲く花を見、また別の花を見、楽しみながら歩いた。途中、川原の広場で高校の野球部の生徒たちが教員の合図で一斉に、声を出して足腰や体の動きを練る運動をしている様子を見た。土手の下に小さなテント一つ張ってあり、大人が2、3人いる。女性が一人いる。彼女は飲料などのサービスをするのであろう。生徒たちは運動して一休みするとき、そこで飲料など貰うのであろう。若い時にそのように集団で訓練を受けることは非常によいことであると思う。

川沿いの風景はとても良い。川幅50メートル位の流れもゆっくりした川であるが、雨天のときは増水する。昔はこの川は氾濫していたらしく、増水時に犠牲者も出ていたらしい。川沿いに無縁仏の祠があり、誰かがときどき花などを上げている。現在は防災工事もしっかりしていて、急な増水があったときのため、地下に直径9メートルほどのバイパス水路も完成している。また災害時人員物資を運ぶことができるように、川岸の一部に舟が接岸できるようなポートも出来ている。

この川沿いに建つマンション群の一つに24年前完成した世帯数28戸、7階建ての小さなマンションがある。男は24年前、転職を機にこのマンションの東角7階の1室を購入して移り住んだ。北、東、南の3面が窓であり、前に遮るものが何もないので風通しがとてもよい。初め4人家族で住んでいたが息子たちはそれぞれ早々と独立したので、今は女房と二人だけで住んでいる。時々遠隔地に住む息子やその家族が来て泊ってゆく。

初めこのマンションが出来たとき、辺り一帯は綺麗ではなかった。その後次々マンションが建ち、家々も逐次建て直され、あるいは新たに建てられて、川辺の風景はとても綺麗になった。24年前川沿いの土手に植えられていた櫻並木も大きくなり、キンモクセイの一種であろうが花の香りがしない樹木の並木も大きくなり、春ともなれば一帯は家族や職場の仲間で野外パーティを楽しむ人たちを見かけるようになった。

男の部屋と隣りの女房の部屋は角部屋で、窓を開けると眼下にその川が見える。2面に窓があり風通しがよく明るい部屋である。このような住環境は田舎では得られない。男は時々田舎で暮らしたいと思うことがあるが、いざ田舎に住むとなると失うものが多いと思う。第一女房の幸せを奪うことになる。田舎は田舎でまた良いところが多いのであるが・・。

男は、自分がいよいよ「あの世」に近づく頃には、良寛さんのように自分だけの庵に閉じこもり、良寛さんの庵には無かったと思うが自分の庵には大きな仏壇を置き、毎日経を上げて修行僧の真似をしながら過ごしたいと思う。その時までは、世俗の垢にまみれながら、しかし自制しながらできるだけ仏に近い生き方をしようと思う。しかし、男は自分の最期の時まで遂に完全なニルヴァーナを得るには至らないと思う。輪廻は繰り返すだろう。

41 心が永久に静まり、実体についての固執を絶ち切った修行僧にとっては、生れを繰り返す輪廻が滅びている。今や迷いの生存を再び繰り返すことはない。

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