2011年5月6日金曜日

さて何から始めるか(続き)(20110506)

 男はこの新たな試みの参考にしようと思い、諸井 薫の『男の節目』を書棚から取り出して読みなおしている。こんな文章が目に止まった。男はそれを読みながら頷いた。特にその終わりの部分に、「そのとおりである!」納得した。

 “回想録というものがある。『私の履歴書』という功成り名遂げた人による追想起のコラムが新聞に載っている。

 もちろん他人に読ませるための人生記録である。これに触発されてか、近頃は「自分史」を書くことが流行っているとか。孫・曾孫に自分という人間がどのように生き、なにをどうやって成し遂げたかを書き遺すのが、どうやらその目的らしい。

 それも結構だとは思うが、私にはやる気になれない。いくら自分の子々孫々に遺すからといって、他人に読まれることを考えたら、人に知られたくない自分の劣等な部分を憚ることなく書くという勇気はまず持てない。現に偉い人の回想録や追想起のほとんどが、具合の悪いところは隠蔽糊塗しているではないか。

 そんな自慢話を、子孫を含めて世間に向けて書き遺すなんて気恥ずかしいことは、とても私にはできそうにない。それを振り返ってみて、これといって自慢するほどのことは何一つ浮かんでこないし、むしろ思い起こすのは、悔恨と慙愧のあれこればかりだ。

 人生たかが六十冊の日記帳というのが、かりにそれを続けていたとして、振り向けば、確かな実感は「ただ生きてきただけ」のことではないのか。

 だが、そもそも文学というものは、自分を抜きには成り立たないものであり、その自分も、人に誇る自分ではなく、ひた隠しに隠したい部分の表出でなければならない。”

 最近、「ゲゲゲの鬼太郎」の作者の夫人のことをドラマ化したテレビ番組「ゲゲゲの女房」が放映されていた。「ゲゲゲの女房」は「ゲゲゲの鬼太郎」の原作者・水木しげる氏の妻・武良布枝さんが、妻の目線から夫婦の半生を振り返った著作を原案としたホームドラマである。テレビドラマ化された本人がそのテレビに出て、そのドラマについて語っている。

 男は武良布枝さんのような文筆の才能はないし、なによりもこれまでの人生の生きざまが彼女のようにドラマチックではない。だからブログの記事をいくら文学的なものにしたいと思っても自ずと限界がある。

しかし上述諸井 ,薫の文章にあるように、「人に誇る自分ではなく、ひた隠しに隠したい部分の表出」に出来るだけ心がけようと思う。それも「男は」という主語によって・・。しかも諸井 薫が言うように「私の日付がない日記」として。

 先ずは、自分の女房を愛している気持ちを書こうと思う。そこで、このひとくくりの愛妻シリーズのタイトルは「冬牡丹」としてみょうと思う。後で変更するかもしれないがこれがラベルとなる。

 諸井 薫は本のタイトルを『男の節目』としたが、男はこのブログの一つのシリーズのタイトルは、一区切り付いてから考えることにしようと思う。

2011年5月5日木曜日

さて何から始めるか(20110505)

 男はこれまでの自分の人生を振り返った。自分では気づかないが男は時々刻々時の流れとともに、全ての生物がそうであるように、老化し、枯れて、やがて土に還ってゆく運命にある。

 そのように自然に枯れて死んでゆくのなら良いが、全ての生物は天変地異・大災害・事故・殺戮などにより、その生物学的寿命を全うする前にその生命を失ってしまう。

 それも大自然の現象である。人間は知能が発達しているので動物にはない想像をすることができる。事故や災害や殺戮などで早死した人の心情や、その家族・友人などの心情を想像することができる。

 男が『日々是支度』と題して、2年前から毎日欠かさず記事を書き、一般公開してきたのは、自分自身のことを顧みるだけではなく、自分が死んだあと男が生きてきた証を特に自分の子孫に遺しておきたいと思うからである。

 女房はそのことにあまり意義を感じていない。それは男と女の脳の構造の違いに原因がある。あらゆる生物のオスは、自分の子孫を本能的に遺そうと行動する。一方、メスはオスによって遺された子を育て上げることに関心があるようである。オスによって自分の体の中に子が宿ればもやはオスのことには関心がなく、本能的にその宿った子のことに関心を向ける。そしてオスが居ても居なくても子育てに熱中する。オスが居る場合はその方が子育てに好都合な場合に限られるようである。

 男は一般に自分の家系のことに深い関心があるようである。しかし女は自分のルーツや子孫のことにあまり関心がないようである。これもオスとメスの違いである。

 女房は男の家に良く尽くしてきてくれた。そのことは女房の親友が女房に言ったという「あなたは、○○家によく尽くしてきたわ」という言葉で言いつくされる。男は女房にそう言われるまでもなく、女房はわが家に非常に貢献してくれたと感謝している。

 このブログの新たな記事の形をどうするか、それは考え続けることにして、とりあえずは、過去の記事の整理から始めようと思う。それに対して新しいタグ付けをしようと思う。

 過去の記事は、主語が「男は」になっている。これは『男の自負』『男の節目』などを書いた諸井 薫を真似たものである。これらの本は日本経済新聞社から出ている。

 勿論、男の力量ではいくら真似たからといても諸井 薫には足元にも及ばない。何事も習い事は「真似る」から始まる。「学ぶ」は「真似る」ことによって学ぶのである。

 明日からは、先ず、男の過去の記事を引き出してそれを推敲しながら、多少なりとも文学的作品になるように試みてみようと思う。

 ブログの記事にするのであるから、一回の記事は適度な長さが良い。そこで、一回分は石行40字、36行、つまり、1440字以内にしようと思う。これは、wordの一ページの標準である。この字数以内に書ききれなかったものは、次回のタイトルを同じものにして末尾に(続き)と書き入れることにする。

2011年5月4日水曜日

もうこれでよかろう(20110504)

 振り返れば、平成21年(2009年)6月ごろから、私は憂国の念に駆られ、このブログにいろいろ政治的な批判の記事を書いてきた。

その理由は、田母神元航空幕僚長を、自民党政権が容赦なく‘切腹’させたことに対し、志のない自民党政治家に対する怒りもあり、また民主党政権誕生に対する警戒心もあったからである。

去る311日午後246分、東北地方の太平洋海底に巨大地震が発生し、東北から関東北部にわたる海岸線500キロメートルにわたり大津波による大災害が発生した。

大津波による被災者に加え、その原子力発電所の事故による緊急避難のため、発災から50数日経った今なお13万人の人々が避難所暮らしを強いられている。

我が国がこのような未曾有の大災害に遭い、日本人は国家というもの、そして共同体の絆というものを改めて認識した。政権を取った当初、昭和維新だと意気込んでいた民主党も党内に異論がくすぶっているものの現実的な路線を歩み始めた。

政治的批判の記事を書き始めたのは随筆『日々是支度』のラベル「憂国」で、2009616日の「武士の魂」からである。ラベル「武士道」及び「武士道後記」以外で政治的批判の記事はラベル「憂国」「日本人はどうあるべきか」「外国人参政権について思う」「やましき沈黙」の四つにまとめている。

投稿はある時から同じ記事を複数のプロバイダーのブログサービスを利用して行ってきた。FacebookTwitterも利用してきた。それはできるだけ多くの人たちに私の主張に関心を持って頂きたいと思ったからである。

勿論これまで政治批判ばかり書いていたわけではなく、日記を書いたり年末年始の期間などには記事の事前予約投稿に好都合なように物語小説『母・ともゑ』など小説風に書いたものなどがある。

ラベル「日本人はどうあるべきか」では、2009624日の『旧皇族が書いた本』他80件。「外国人参政権について思う」では2009820日の『日本列島は日本人だけのものではない?』他8件、「やましき沈黙」では、2009817日の『核三原則』他4件の記事を書いた。書いた本人の主語は「男」であったり「老人」であったりした。

このように私は政治的批判の記事を沢山書いたがもうこの辺で終わりにしようと思う。その理由は「いい齢をしていつまでそのようなガチガチしたことに取りつかれているのか」という自嘲もあり、たかが無学無名の一市井の年寄りががちゃがちゃやっても世の中はそう簡単に変わるものではない、自己満足でやっているだけではないか、という自己批判もあるからである。

明日からは主語を以前のように「老人」か「男」に戻し、私自身を客観的に視、いよいよ本来の日々是「死」支度をしてゆこうと思う。それが後何年続くのか、何十年ぐらい続くのか全く予測はつかないが・・・。

2011年5月3日火曜日

福島原子力事故は人災である(20110503)

 そろそろ世間は、大震災・原発事故の救助・支援モードから、その原因追究モードに移りつつある。

 昨日の参議院予算員会で、民主党の森裕子議員が、福島原発事故の原因について厳しく政府を追及した。菅首相は、これまでの政府の対応が十分でなかったと陳謝した。

明らかになったのは、福島原子力発電所2号機において昨年6月、停電事故が発生し、原子炉は自動停止したが外部電源への切り替えに失敗し、非常用ディーゼル発電機が起動したが、既に炉内の水位が2メートル低下し、水位が回復するまで30分もかかったという。水位が、あと40センチ低下すれば、緊急炉心冷却装置が作動するという間一髪の状況だったという。

もし、この時の事故を教訓に、外部電源を二重に引いておけば、今回の巨大津波により非常用電源が使えない状況になったとしても、今回のような大事にはならなかったと思う。

 その時の原子力保安院の対応は、東電任せであった。事故調査も十分に行われず、未来に何か類似事故が起きたときどするかという指導も行われていなかった。

 森議員は、小学校における暫定基準値20ミリシーベルトはおかしい。5ミリシーベルト以下にすべきであると主張した。政府の対応は、「20ミリはあくまで暫定基準であり、出来る限り低く抑える」というものである。

 これに関連して同じ、民主党の空本誠喜議員は、今朝のテレ朝で、政府に抗議して内閣参与を辞任した小佐古教授を擁護する発言をした。

 大震災発生直後、原子力安全委員会の開催を各委員に伝えようとしたが、通信状態輻輳のため連絡が取れず、また交通機関も麻痺し、委員会は開かれなかったという。

 庶民感覚で見れば、原子力保安院も、原子力安全委員会も、その果たすべき役割をきちんと果たしてこなかったように見える。実際そのとおりであろう。

 政府は、国家公務員(特別職である自衛官も含む)の給与を一律に1割カットするという。その前に為すべきことはないのか?

 先ず、国会議員の数を半分にすべきである。また盲腸のような原子力保安院と原子力安全委員会を改組し、人件費を減らすべきである。少なくとも、そのことを国民の前に宣言すべきである。

 そういうことを宣言もせず、実施もせず、マニフェストの国家公務員人件費2割カットという文言に呪縛された行動をとるというのは、大変間違っている。

 世間は、大震災・原発事故の救助・支援モードから、その原因追究モードに移りつつある。政府・菅首相は、その動きを決して軽視してはならない。

 もし、菅首相が、その判断を誤れば、菅首相は名誉を遺すことなく、退陣せざるを得なくなるだろう。

2011年5月2日月曜日

選手交代が必要である(20110502)

 安藤美姫がモスクワで行われた世界フィギュアスケート選手権大会で優勝した。男子の部では小塚選手が銀メダルを獲得した。快挙である。

 安藤選手は、滑り終わって点数が表示されトップに立ったあと、インタビューで何度もこう言った。「自分のためではなく日本のために」と。

 表彰式で日の丸の国旗が掲揚され、国歌が演奏されたとき、彼女は演奏に合わせて「君が代」を口ずさんだ。

 「自分のためにではなく日本のために」という一心であったと彼女は言った。この言葉を菅首相は聞いただろうか? 彼女が「君が代」を口ずさんでいる様子を見ただろうか?菅首相だけでなく、鳩山元首相も小沢元代表も、此の二人のグループの国会議員たちも、彼女の言葉を聴き、表彰台上の彼女の口元を見ただろうか?

新聞誌上に、彼女が「がんばろうニッポン」と書かれた大きな日の丸の国旗を掲げて、スケートリンク上から観衆に向かって笑顔を見せている写真が大写しで出ていた。

 菅首相は、かつて、国旗国歌法案に反対した。予算委員会で自民党議員からそのことを追求されたとき、口を濁した。南京大虐殺記念館を見学後、公式に中国に謝罪し、中国で小泉元首相が靖国神社を参拝したことを非難した。

 今、一国の内閣総理大臣になって、彼は当時の思想から変わったかもしれない。彼は、此の度の未曾有の大災害の復旧・復興に向けて寝食を忘れ、頑張っている。そのことは誰でも認めるところである。しかし、その姿が国民にはしらじらしく映る。それはこの日本にとって、非常に良くないことである。

 菅首相には、復興会議の提言が出された段階で、首相の座から降りて頂きたい。そして、次は与野党合意で新しい首相を選び、復興に向けた新しい、そして非常に強力な体制の下、日本の復興・再生に全国民のエネルギーを結集させるようにして欲しい。

 もし、民主党が、マニフェストを凍結できないのであれば、衆議院の解散しか選択肢はない。「今この時期に」という躊躇はあるだろう。しかしそれは、今後長期間にわたる日本復興・再生という大事業のためには、どうしても乗り越えなければならない壁である。

 鳩山元首相と小沢元代表が会談し、「菅下しを当面控える」ことで意見が一致したという。もし、この二人が「日本のために」菅首相の「衆議院解散」という決断を促すのであれば、これまで、この二人は国賊のように思われていただろうが、汚名挽回のきっかけになると思う。政治家は、「自分のことよりも日本国のこと」を最も大事に考えて行動すべきである。

 若い世代の人たちは、私心なく、純粋に日本の復興・再生を願い、立ちあがっている。60代以上の政治家たちは、若い人たちを全面に押し出し、自らは陰になり日向になって彼らを支え、後世の人たちのために善い贈り物を遺すようにするべきである。

 政治家たちの私利私欲・党利党略に大方の国民はうんざりしている。腹立ちを覚えている。彼らは一昔前ならば、身の安全は保障されないであろう。

2011年5月1日日曜日

徒然思う (20110501)

 2年前の衆議院選挙で民主党に票を入れた人びとの多くは、自民党にお灸を据えるつもりであった。ところが民主党が大勝してしまった。

 そのときの公約が子ども手当であり、高校無償化であり、高速道路無料化であり、個別保障であった。

 世論は変わり、子ども手当は児童手当に戻し、保育所の増設を求める声が圧倒的に多くなった。高速道路無料化にも反対者が非常に多くなった。個別保障についても同様である。

 菅政権は、世論を踏まえ現実路線に転換しようともがいている。ところが、小沢一郎氏とその一派は「国民との約束は守らなければならない」という、一見‘正しい’ように見える論理を振りかざし、倒閣に動いている。

 小沢氏及びその一派は、国家・国民のためよりも、自分たちの私利・私欲のためだけに行動しているのである。小沢氏の力で当選した新人議員たちは、右も左も分からないまま、領袖の指示に従って行動している。

 この国をめちゃめちゃにしたのは、鳩山由紀夫元首相とその一派であり、小沢一郎氏とその一派である。しかし、彼らに票を入れたのは、一部の国民であった。その根本原因は、自民党政権による積年の塵埃に嫌気をさした人びとの心情にあった。

 此の度の大震災で、国民は目覚めた。自民党の古い体質を引きずる政治家たちにも厳しい目を向けている。‘老害’はお断りである。

 この国は、若い世代の政治家たちによってしか、再生できない。自民も民主も公明も、古い考え方しかできない政治家たちは、己を恥じて後進の若い政治家たちに道を譲るべきである。菅氏も、小沢氏も、鳩山氏も然りである。

 与野党問わず、長老の政治家たちに求めたい。貴方方が率先して、今60歳代以上の政治家たちは、50歳代以下の政治家たちに道を譲るようにと発言し、行動することを。

 菅政権は、此の度の大震災の復興財源を確保するという名目で、子ども手当を見直し、はっきり「廃止」とは言わないが、増額の児童手当を復活させることを視野に入れている。昨日、民主・自民・公明3党が復興財源確保のため合意文書を交わした。

 しかし、これはお互い玉虫色である。民主党が、マニフェストを撤廃、「撤廃」という文言が嫌いならば「一時凍結」し、自公政権当時の路線に戻ることが、先ず必要である。

 小沢氏及びその一派は頑強に抵抗するだろう。しかし、数の上では、自公及び民主の保守派は多数である。思い切って政界再編成すればよい。

 その手段は、衆議院の解散・民意を問う国政選挙である。今、この非常時にそんなことができるか、と言う人は多いだろう。

 しかし、この日本国の再生のため、一時の政治停滞はやむをえない。真に国民のためになる政権が生まれるならば、一時の政治停滞で失うものよりも、国政選挙で得るものの方がはるかに多いであろう。菅内閣総理大臣の、‘無私’の大英断が待ち望まれる。

2011年4月30日土曜日

4百社9千人 (20110430)

 4009000人、これは東京電力㈱福島原子力発電所の関連会社の数及びその従業員数の総数である。

 400社は元請け会社、その下請け会社・孫請け会社の総数である。つまり、東京電力福島第一原子力発電所の職員は、ピラミッドの頂部を少し占めているだけであり、そこで働く全労働者のほんの一部にすぎない。ここに大きな問題が潜んでいる。

 その現場で危険を冒しながら働いている労働者たちは、日給9000円を貰い、一日の作業を終えれば同発電所内集中免振棟の床上にごろ寝して休息をとり、一日2食、朝食はビスケットという程度の粗末な食事で、放射能汚染拡大防止の作業のために頑張っている。

 今日の国会で、自民党石破氏は、政府が中央防災会議を活用していないこと、及び今回の大災害のため50%近い常備兵力を災害救助のため割いているにもかかわらず、安全保障会議を開催していないことについて、政府と菅首相の対応を非難した。

 また、政府が今回の福島第一原子力発電所の事故について、東京電力㈱に全責任を押し付けている現状について、福島県に選挙区がある自民党吉野正芳氏が質問に立ち、今回の放射能事故の責任を政府が連帯して負うという答弁を引き出した。

 被害を受けている地元にしてみれば、前面に立っているのは加害者である東京電力㈱であり、政府はその陰に隠れているようにしか見えないのである。政治主導と言いながら、補償問題では財務、国土交通、農林水産、厚生労働など各省庁が足を引っ張り合っているのだろう。これまで政府の対応が遅い原因はそこにある。政府の心が国民に伝わらない。

 そこで自民党は、災害復興再生院を立ち上げることを提案している。これに対して民主党政権は、「屋上階を重ねる」と言って反対している。反対の本音は、もし与野党合意の上、連立が成り、内閣の顔ぶれが変わると民主党は壊滅してしまう、という懸念があるから、そう言って反対しているのだろう。そこに小沢グループの影がちらついて見える。

 この国家危急時には、一切の党利党略は不要である。「想定外」という官僚用語も不要である。ただ必要なのは、与野党を超えた復興再生暫定政権だけである。

 菅首相は、谷垣自民党総裁に大連立を持ちかけたとき、「外交・防衛・安全保障」の政策の合意が必要なこと、及び、子ども手当・高校無償化・高速道路無償化・個別保障のバラマキ撤廃、少なくともマニフェスト凍結を前提としなければならないことは心中承知していたと思うが、そこまでは明確に答えず、「思慮が足りなかった」とだけ言って謝罪した。

 村山元首相は、清貧な自宅に住み、私心なく、決断は竹を割るように明確であった。左翼政党の領袖として、「自衛隊は合憲である」とずばりと宣言し、以降、社民党はその宣言を今日まで尊重してきている。但し、その本音は反自衛隊・反アメリカ軍であると思う。

 もし、菅首相に、私心なく、死ぬ覚悟で「民主党のマニフェストは凍結する」「集団安全保障上武力行使の必要が生じた場合は日米双務的に行使する」「尖閣は死守する」「竹島・北方4島は返還を求める」「憲法は改正する」「国会議員定数は削減する」「靖国神社に参拝する」と宣言すれば、国民大多数が最も望む日本復興再生暫定政府が作られることだろう。

2011年4月29日金曜日

早く逝くのも遅く逝くのも (20110429)

 年寄りは殆ど誰でも「長生きしたい」と言う。一方で、「人生に悔いは無いから何時死んでもよい」と言う人もいる。人生の道半ばで「今死ぬのは悔しい」と思う人も沢山いる。

 人生は、自己完成への道程である。一概に自己完成と言っても、人それぞれ目標も目標の質や量も違う。自分を厳しく律して克己勉励努力することが理想であるが、凡人は身の丈に見合う目標を設定するのが一番良いだろう。

 子どもの時から塾通いし、受験勉強に多くのエネルギーを費やし、神経をすり減らして他者との競争に打ち勝つ。それが自分の喜びや達成感につながるのであれば、その目標はその人の身の丈に見合ったものであると思う。一流のスポーツ選手は、持って生まれた自分の素質を最大限に引き出し、極限の値まで自己完成を目指す。それは、その選手にとって大いなる喜びであるからである。

 此の度の大震災で、非常に多くの人たちが命を失った。その中には、ある消防団長や、ある消防官やある福祉施設のリーダーやある企業のリーダーなど、自分を救うことよりも先ず他者を救うため行動した方々がいる。

ある村の消防団長は、鐘楼に登り半鐘を打ち鳴らして、必死に住民に必死に非難を呼び掛けた。その時、その団長は同じ村の団員に「早く逃げろ!」と叫んだ。「あの時の団長の顔には鬼気迫るものがあった」、とその団員は述懐している。

 平常ならば無名で人生を終える人びとであったが、生か死かの時、それらの人たちはやむにやまれぬ行動に駆り立てられ、命を絶った。そして、後世にその名を遺した。

大連から来た中国人研修生たち20人を真っ先に神社に避難させたある水産会社の役員は、その20人の安全を確認したあと、寮に残した妻子を避難させるため寮に戻った。彼は20人の中国人研修生の目の前で波に呑みこまれて死んだ。研修生たちは大連で募金活動を行い、その役員(佐藤 充さん)のため、佐藤さんの会社のあった辺りに碑を建てると言う。

日ごろ、自分のことよりも他者のことを思い、欲のない正直な人は、普段目立たなくても非常時には立派な行動をすることができると思う。此の度の大震災で、多くの無名の方々が、そのような立派な行動をし、死んでいった。

まして、名のある人びと、特に国会議員は、昔なら幕府に勤める身分と同じ立場である。昨日、小沢一郎元代表の資金管理団体「陸山会」の政治資金規正法違反事件で、中堅ゼネコン「水谷建設」元社長が、小沢元代表の秘書に計1億円の裏金を提供したことを認めた。小沢氏らと上述無名の方々とは、その心根において雲泥の差がある。

吉田松陰は、刑死前、次の歌を遺した。

   かくすればかくなるもとと知りながら やむにやまれぬ大和魂

 早く逝くのも、遅く逝くのも、その人生の重みは人それぞれである。一般国民は心の深奥では、国会議員が昔の武士の精神をもっていることを期待している。利権にすりより、金に汚れ、「市民」を標榜する国会議員たちは、自らを顧み、身を引き締めた方がよい。

2011年4月28日木曜日

福沢諭吉と愛国 (20110428)

 表題は、『人生歳時記』(飯田豊二編集、博正社出版)に載っている元慶応義塾塾長小泉信三の言葉の題である。この本は古く、昭和46年に定価1300円で購入していた本である。
 今、我が国が危急の時、ここに、その一部を引用し、日本人のあるべき姿を考える。

 “福沢諭吉先生の国権論は一朝一夕のものではない。多くの人は先生を、個人の自由独立を説いて脳裏に国家なき者のように解しているが、私は先生の如き烈烈の真の愛国者を見たことがない。

 明治十五年までは先生の念頭を圧迫したものは常に欧米列強の東漸であった。武備を厳にして西洋諸国に当たるものは日本国民の外にはない。日本の軍備は独り日本一国を護るのみならず東洋諸国を保護するためのものだから、その規模も遠大にしなければならぬと力説した。

 しかるに朝鮮問題で日支の国交が切迫するに至って先生は支那に対する警戒を説き出した。先生は終始開戦の避け難きを期し、そのために用意を説くに最も熱心なる一人”

 “開戦第一の勝報が達すると、先生は直ちに時事新報紙上に、大いに資金を募集して軍費を償わんと提唱し、自身率先して金一万円を義捐した。当時の一万円は何といっても大金である。先生は家計を取締め、老後家計上の心配も顧みず醵金を決した。先生はそれを文章に書いた。”

 “壮時外遊して日本国の弱小を嘆き、涙を呑んで通宵眠らざりしは毎度であった処から筆を起こし、国の栄辱浮沈の分かれる所、今回の戦争は如何なる事情、如何なる困難があっても是非とも勝たねばならぬ大戦争であるが、その大切な戦争に資金を以って成功を助けることが出来るとあっては聞き捨てならぬ。家内相談の上金一万円を出すことにした。”

 “先生は「日本国民の覚悟」を説いた。戦争中は官民共に政治上の恩讐を忘れよ、事の終局に至るまで謹んで政府を非難するな、人民相互の愛国の義を奨励して私は人と争い、人の気をくじくようなことはしてはならぬ。父母の病中に兄弟喧嘩をしないように、一切の議論や理屈は戦いがすんでからにして貰いたいと論じたのである。”

 殆どの日本国民は、上記のような文章に接したことはないだろう。そして、「日本はアジアを侵略した、日本人は悪いことをした」と、言葉には出さぬが内心そう思い込んでいるだろう。日本を二度と立ち上がれないように目論んだ欧米、それに便乗して漁夫の利を得たロシアや中国の思惑あり、東京裁判で日本人は自虐史観を植え付けられてしまった。

 今、未曾有の大震災を被り、日本国民はそのことに気づき始めている。平成11年に施行された国旗国歌法に、反対した国会議員が多数いた。これらの人々の思想は変わってきたと思いたい。
与党民主党内で小沢一派が菅下しを図っている。これが与野党団結の妨げになっている。

参考までにこの法案に反対した民主党国会議員は46人いた。その中に赤松広隆、生万幸夫、枝野幸男、大畠章宏、海江田万里、河村たかし、菅直人、土肥隆一、鉢呂吉雄、原口一博、細川律夫、前原誠司、松本龍、横路孝弘ら各氏が含まれている。

2011年4月27日水曜日

クリーン・エネルギー (20110427)

 msn産経ニュース「科学」欄に、一部引用する次の記事があった。

“大阪市立大の神谷信夫教授らの研究グループは21日、地球温暖化の原因とされる二酸化炭素を原料に、人工光合成でアルコール系燃料のメタノールを製造する構想を発表した。平成32年までの実用化を目指す。実現できれば世界初。石油などの輸入化石燃料や原子力発電に依存しない循環型の国産クリーンエネルギーが確保できることになり、注目を集めそうだ。”

“同大複合先端研究機構プロジェクトリーダーの橋本秀樹教授は、27年までに人工光合成装置を開発、32年までにメタノール燃料製造の実用化を目指すスケジュールを明らかにした。

新たな研究施設の建設に約8億円が必要になる見込みで、経済産業省の補助事業を活用したい考え。すでに企業数社との交渉も始めているという。

橋本教授は「排出された二酸化炭素から燃料が製造できるようになれば、究極の循環エネルギーになる。最終的には、原子力発電に代わるシステムを目指したい」と話した。”

先人の遺産の延長線上に、上記の技術がある。日本は、原子力に依存しない国づくりを目指そう。日本は、性根を据えてこのプロジェクトの為に人材や資金を投入し、研究施設・設備を拡充し、科学技術教育体制を強化し、世界に冠たるエネルギー国家になろう。

国会議員と中央官庁の官僚たちの「国家意識」が重要である。人体になぞらえて、国体の頭脳の前頭葉を司る国会議員と中央官庁の官僚は、「私」を忘れ、「国の為」だけを念頭に置き、現世に生きる人びとの安全・平和・繁栄のため、後世を生きる子々孫々の幸福のため働いて貰いたいと思う。

先人たちは、皆、そういう思いで頑張って働き、「あの世」に逝った。先人の御霊に敬意を表せず、天皇を崇敬せず、国旗・国歌を大切に思ってこなかった国会議員や中央官庁の官僚たちの中には、此の度の大震災を契機に「心を悔い改めた」人も多かろう。

菅首相もその一人だろう。もし、菅首相が、ご自分の過去の言動を恥じて、国民の前にその気持ちを表明したならば、そして、実務は専門チームに委ねてご自分は大所高所から大局的にものごとを判断し、言葉を選んで自分の意向を伝えたら、菅首相に対する国民の支持は急上昇することだろう。

人は、聖人君子でもない限り、誰にも欠点があり、過ちも犯す。人は、人生の歩みとともに進歩する。菅首相がもし、過去へのこだわりを棄て去り、「無」の心になり、「たとえ騙されたとしても、殺されることはない」と人を信じ、ただ一点「国の為」だけに、真心を尽くすならば、菅首相に対する人びとの評価は変わってくるはずである。

2011年4月26日火曜日

田中好子の遺言 (20110426)

 元キャンディーズ3人娘の一人、田中好子さんが、乳がんを患って19年間の闘病の末、55歳でこの世を去った。この世を去る直前、音声でメッセージを遺した。最初の言葉は、東北の被災された方々への思いであった。病床にあって何も出来なかったが、「あの世」から自分にできることをしたいと語った。遺言の最期の言葉は、「さようなら」であった。

 彼女は、最後の最期まで、凛として生きた。私事になるが、私は9歳の時、33歳だった生母を乳がんで失っている。それは、終戦直後の昭和2112月のことであった。

 終戦直後、8月、9歳と7歳の息子二人を連れ、背中に2歳の娘をおんぶし、両手に大きな荷物を持ち、今の韓国慶尚北道から釜山を経て、連絡船で引き揚げてきた。夫(私の父)は、小学校の校長をしていたので一緒に引き揚げることはできず、9月に帆船で引き揚げてきている。

 その母が乳がんになり、別府の病院で左右片方づつ、乳がんの摘出手術を受けたが、既に手遅れであった。がんは背中全体に転移し、母のやせ細った背中はこぶだらけであった。

 相当苦痛であったと思うが、その苦痛の様子を私や弟には一度も見せたことはなかった。ある日、いつものように「起こしておくれ」と言ったので、当時9歳であった私は、母を寝床から起こしてあげた。いつもなら「背中をさすっておくれ」と言ったのに、その時は「御仏壇からお線香を取ってきておくれ」と言った。そして自分の体を「東に向けておくれ」と言った。そして、「お父さんを呼んできておくれ」と言った。

母は線香に火を付け、東に向かって両手を合わせたのだと思う。私は裏山で枯れ落ちた松葉を掻き集める作業をしていた父を呼びに、そこに向かって走った。父と一緒に戻って来た時には、母は既にこと切れていて、寝床に寝せられていた。

 がんは、身体をむしばみ、生命活動が出来なくなるようにするが、脳の活動は最期までしっかりしているようである。

 33年前、日航ジャンボ機が墜落したとき、何人かの人が死の直前、愛する家族にメッセージを遺している。人は、頭脳がしっかりしている限り、自分の体の生命活動が消える瞬間まで、精神活動を行うことができる。

 国体も人間の体と同じようなものである。国家としてきちんとしてゆくためには、頭脳である政府がしっかりしていなければならない。「想定外」という官僚用語は、今後一切無用である。2000年前、四国の高知にマグニチュード9級の巨大地震による巨大津波があった痕跡が見つかっている。

 もし、伊豆大島・房総半島の間を通り相模湾までの相模湾トラフに沿って、そのような巨大地震が発生したら、この日本はどうなることだろうか?
 
 政府は、国会議員と中央官庁の国家公務員で構成されている。国会議員と中央官庁の国家公務員に「私心」があり、「国家」に殉ずる覚悟がないままの状態であるときに、もし、今、そのような巨大地震が発生してしまったら、この日本と言う「国体」は次第に衰弱し、ゆくゆくは、国は亡んでしまうことだろう。

2011年4月25日月曜日

昭和記念公園 (20110425)

 昭和記念公園は、立川にあった旧日本軍飛行場を戦後駐留米軍の基地となり、米軍基地の拡張計画に端を発した砂川事件もあった有名な場所にある。広大な基地が返還されて、今、平和な国営公園になっている。 立川駅周辺も往時に比べればすっかり様変わりし、立川は美しい都市に生まれ変わった。

 昭和記念公園は、今チューリップやアイスランドポピーや菜の花などが見ごろである。今日は快晴・温暖・無風の穏やかな日曜日であることもあって、この公園には沢山の行楽客が訪れていた。鬱金という里桜がまだあちこちに満開の花をつけており、新緑の木立の下の散策道のあちこちに黄色い花をつけた山吹やレンギョウの茂みがあり、また、自然に生えて広がったと思われる蓮華草やタンポポや菫などあり、園内の散策は非常に楽しい。

 園内の散策も終わりに近づいたころ、散策の道からちょっと入りこんだ適当な場所に、持参のシートを広げる。そこに仰向けに寝そべって空を眺める。リュックサックから持参の菓子や果物を取り出して食べ、持参の暖かいコーヒーを飲む。

 大災害発生後40日以上経つが、仮設住宅の建設ははかどらず、今なお13万人を超える人が避難所暮らしをしている状況がある一方で、立川駅構内で女高生たちが義援金の募集をしていて過ぎゆく人びとの注意をひいていること以外は、この昭和記念公園に見るように、あたかも大震災は無かったかのような状況もある。

 今、もし突然、首都圏直下型大地震が発生したら、このような都会地は非常に混乱することだろう。東北の13万人を超える被災者たちと同じような悲しみや苦しみが、首都圏にいる人びとにも及ぶことになるだろう。

 今、この日本でそのような有事に対する備えがあるだろうか?「有事即応」は軍隊だけの専門用語ではない。それは、「国家」が最も重視しなければならない概念である。

簡単に言えば、「国家」は、「国民」の安全と平和を守り、「国」を繁栄させなければならない。その責務は、政治家と官僚が担っている。封建時代は、武士が百姓・町人の安全と平和を守り、国や藩を繁栄させる責務を担っていた。

今の時代は、その武士の役割を、政治家、官僚、公務員、裁判官、自衛官・警察官・海上保安官・税関検査官・消防官など「官」が付く公務員、大学教授、小中高教師、消防団員、公共の運輸・交通・通信・放送(NHK)、電気・水道・ガス・介護福祉など事業体の職員・社員の方々が担っている。裁判員も同様である。

その政治家の「国家」意識が薄かったら、昔の百姓・町人である「国民」は哀れである。今、その哀れな状況が、此の度の東日本大震災の被災地で起きている。

その最大原因は、封建時代の徳川幕府と同様の役割を担っている政府にある。徳川幕府の官僚は、武家の総領・歴代将軍と大老・中老などその幕臣の配下であった。

今の時代、封建時代の歴代将軍やその幕臣と同じような機能をもち、官僚を支配しているのは民主党政権である。それが、あまりにもお粗末である。国民の怒りは大きい。

2011年4月24日日曜日

小沢グループの造反(20110424)

 菅首相は、復興の道筋をつけて首相を辞めたいと思っているだろう。首相の座に「居座る」つもりはないと期待したい。

 一方、小沢グループは「菅首相引き下ろし」を意図して、ガソリン減税特例凍結に抗議し、衆議院本会議で‘異常な’行動をした。

 彼らは、「私利私欲」の連中である。国家のことよりも自分たちの勢力の方が大切なのである。無名の、声なき一般国民は、そのことをよく見抜いている。

 自民党や公明党が、菅政権と組めない根本原因は、小沢グループの存在にある。彼らは、今、この国家危急のとき、反国家的な態度をとっている。

 東日本巨大地震は、関東・東海の大地震を引き起こす可能性があることが、科学者らによって指摘されている。

 もし、明日にでもそのような連鎖的大災害が起きた時、政府は、今の状態で機能するだろうか? 自衛隊(=日本国防軍)は、10万人以上の兵力を東日本大災害の救援のため割いている。末端の自衛隊員(=兵士)らに、疲労の色が現われている。

 13万人の人々が、避難生活を余儀なくされている。愛する人を津波で失った人びとも何千人という。サッカーグラウンドには、ずらっと遺体が埋められ、異様である。東京に住む人は、霞が関の政治家・官僚は、天皇皇后両陛下のように、もっと現地に身近に接してみるべきである。私利私欲・党利党略などに意を用いているのは恥ずかしいと思わないか!

 今、求められるのは、あれから49日を過ぎた日430日から、国家的・国民的諸政党、それぞれの主義主張はあるだろうが、大同団結し、復興に向けてリーダーを選出し、期間限定の暫定内閣を樹立することである。

 そうして、復興のための組織を立ち上げ、国家的式典を行い、「さあ、やるぞ!」と日本列島一丸となって、新しい国土建設のため全国民のエネルギーを集中させることである。

 話は、別であるが、昨日「日独交流150周年を記念する決議」について書いたが、これに自民党内から批判があった。確かに、今さら「謝罪」の文言は不要である。まして、ドイツも一緒に「謝罪」する必要はない。「市民」標榜政治家の巣窟である民主党との調整で、石原幹事長は抑えるべきポイントを押さえていなかった。多分、あの決議案は妥協の産物であろうと思うが、そういう「自虐的史観」に根ざすことは、もう、この日本から世界に向けてわざわざ発信すべきではない。
 
 小沢グループが、全ての元凶である。「市民」標榜候補者を多数集めた。ただ自分の勢力拡大のために。これは、私利私欲以外のものではない。

 すべての政治家は、今、この国難のとき、「国家」と「市民」の違いを認識し、この日本で、「国家」と「共同体」が如何に大切であるか、よく認識してもらいたい。さもなくば、政界から去り、若い世代にバトンタッチせよ! 若い世代は、恐れずもっと発言せよ!

2011年4月23日土曜日

うれしいこと(20110423)

 うれしいことが二つある。当然と言えば当然であるが、これまでならなかなかすんなりとは行かなかったのではないかと思う。

 一つは、「日独交流150周年を記念する決議」である。民主党の原案は、「(先の大戦に関し)両国はその侵略により、近隣諸国の人々に多大の損害と苦痛を与えた」であったが、その「侵略」という言葉が削除され、「各国との戦争状態に入り、多大な迷惑をかけ、両国も多くの犠牲を払った」と修正されたことである。

 国家や天皇制よりも「市民」を標榜する故に、‘反国家的政党’である共産党と社民党はこの修正案に反発し、22日の衆議院本会議で反対する方針であるとの新聞報道である。

 もう一つは、自民党の谷垣総裁と大島副総裁らは、21日、靖国神社の春季例大祭に合わせ、靖国神社を参拝したことである。谷垣総裁は昨年815日以来、総裁就任後3回、靖国神社に参拝しているという。祀られている英霊たちは、さぞ嬉しく思っていることであろう。このブログでは、「靖国神社と菅首相」と題して、49日に記事を公開している。

 平和ボケし、「市民」を標榜し、国家観の希薄な政党、政治家たちは、この国にはもう要らない。此の度の大震災は、日本人に強烈な国家観と共同体意識を呼び覚ました。

 国家あっての国民である。万世一系の天皇あっての日本国である。「日の丸」の国旗、「君が代」の国歌あっての日本国である。あとは、「自衛隊」ではなく、ちゃんとした「国防軍」を持ち、同盟国との集団的自衛行動をとることができる当たり前の国にすることが、課題として残っている。それは、今、40歳代前後の志ある政治家たちに期待する仕事である。

 菅首相は、今は思想が変わってきているかもしれないが、国歌の「君が代」を批判した。「君が代」の「君」は、決して天皇のことではない。古来、天皇は「大君(おおきみ)」である。「君が代」も「君」は、抽象的に表現した個々の人のこと、つまり、国民ひとりひとりのことである。「あなた」や「わたし」が、「君」なのである。

 国民ひとりひとりが、しっかりした国家観を持たない限り、近隣諸国の政府は、尖閣諸島、竹島、北方領土を、「外交問題」にしようとする。政府は「国益」を主張する。お互いの国々の、それこそ「市民」レベルでは、近隣諸国の「市民」と日本の「市民」とはお互い仲が良い。「市民」と「国家」とは、違うものであるのだ。それを、見識の浅い政治家や、思想的に「反日」の政党は「市民」と「国家」を同じものであると主張する。

 此の度の大震災は、「天罰」である。見えざるところ、人智を超えたところから発せられた恐ろしいものである。日本国民皆が心を一つにして合掌し、その見えざるもの、人智を超えたものを畏れる気持ちを持てば、この日本には明るい未来が必ず開けてくるであろう。

 天皇陛下は、皇后陛下と被災地を巡幸されるとき以外、宮中にあらせられては、昔から定められている式に則り、日本の国家と国民のために祈りを捧げて下さっている。

 今、各地で復興に向けて人びとの気持ちが高ぶってきている。日本は、この国難を乗り越えて、必ず、再び「ライジング・サン(太陽が昇る)、日出る国」となるだろう。

2011年4月22日金曜日


平和ボケし、「市民」を標榜してきた政治家たちに猛省を促したい(20110422)

 『国家と共同体を心に刻みつけた』と題して、拓殖大学学長渡辺利夫氏が、msn産経ニュースに「正論」を寄稿しておられる。

 氏は、大戦時の空襲により真っ赤に燃える甲府の街を恐怖に震え逃げ惑いながら負った火傷(やけど)の痕がが、上半身にはいくつものあるという。ご母堂の里に避難した後、ご自分が家のあった辺りに戻った時目にしたのは、2つの地場の百貨店が黒く焼け爛(ただ)れて立っているだけで、他は延々の焼け野原であったということである。

 以下、氏の寄稿をここに引用する。
“東日本大震災、津波が黒く巨大なエネルギーの塊となって太平洋側の町や村を次々と飲み込み吐き捨て残していった瓦礫(がれき)の山は、幼少期の経験と二重写しとなって私のトラウマを呼び戻す。「第2の敗戦」である。”

“大震災以前、多くの日本人は国家と共同体に価値を求めず、自由な個として生きることを善しとする気分の中に漂っていた。国家とは口にしにくいから市民社会と言い、国民とも言いにくいので市民と言うような気分である。地球市民などという迷妄の用語を弄ぶ政治家さえいた。私はそういう気分のことをポストモダニズムと呼び、こんな軽薄な気分ではナショナリズム鬱勃たる中国、ロシア、朝鮮半島を近在に擁する日本は彼らと共存することさえ難しいと本欄を通じ何度も主張してきた。”

“実際、尖閣諸島沖の中国漁船衝突事件、ロシア首脳の国後島訪問、北朝鮮軍による韓国・延坪(ヨンピョン)島砲撃事件と、日本の安全を脅かすことごとが起こったものの、民主党政権は主権国家としてのまともな対応を何もしないままに打ち過ごしてきた。のみならず、日本の安全を保障する唯一の制度的装置たる日米同盟を危殆(きたい)に貶(おとし)めて恬然であった。国家観念の希薄な政権中枢部にあっては、国益とは何かが不分明だったのであろう。”

氏は、犠牲を厭(いと)わず被災民の救済に献身する自衛隊、消防、警察、海保などを讃え、2万人近い兵力を投入、空母ロナルド・レーガンをはじめ20隻の艦艇、140機の航空機をもって救助活動を展開した米軍を讃え、また、東北地方の農漁村の共同体の中に、共同体を共同体たらしめている精神と原理を指摘し、

また、天皇陛下のお言葉、「被災した人々が決して希望を捨てることなく、身体(からだ)を大切に明日からの日々を生き抜いてくれるよう、また、国民一人びとりが、被災した各地域の上にこれからも長く心を寄せ、被災者とともにそれぞれの地域の復興の道のりを見守り続けていくことを心より願っています」に、日本国家の有り様が表出されていると論じておられる。

そして此の度の大震災を「天罰」とせず「天恵」として受け止めねばならないと言っておられる。

私は、今回の大災害には、人智を超越したところに起因するものも、きっとあるに違いないと思っている。故に、日本の国と民の為、菅首相には「市民」世代を代表して政界から身を引き、靖国神社、明治神宮、伊勢神宮に参拝して頂きたいと、強く思うのである。

2011年4月21日木曜日

大綱を統ぶるのみ(20110421)

 これは、オンライイン「産経新聞ニュース」政治欄に寄稿されている東京大学教授・山内昌之氏の『歴史の交差点』の記事のタイトルの一部である。以下、その要点を引用する。

 “--大臣の職務は、仕事でいちばん大切なところだけを大体押さえておけばよい。日常の細かい事柄は、従来のやり方に依拠することもできる。ただ大臣の重要な職務は、人の言いづらいことを語り、人の処理が難しい事柄を処理する点にある。このようなことは1年間に数回にすぎないほどだ。従って、平素から細かいことに関わりあって疲れ、心を乱すことがあってはならない。

 まるで現代の評論家が政治主導と脱官僚にこだわる菅直人首相にあてつけたような発言である。しかし、実際にこう述べたのは、江戸後期の儒学者の佐藤一斎(いっさい)である。その著『言志四録(げんしろく)』は、さながらギリシャの歴史家プルタルコスや仏思想家モンテーニュの箴言(しんげん)や警句にも匹敵するエスプリをちりばめた叡智(えいち)の書として知られる。坂本龍馬、勝海舟、西郷隆盛などの先人も愛読した。かれらも疲れたときは、この書物を読んで癒やされたに違いない。”

 “冒頭の文章は原文ではこうである。
 「大臣の職は、大綱を統(す)ぶるのみ。日間(にっかん)の瑣事(さじ)は、旧套(きゅうとう)に遵依(じゅんい)するも可なり。但(ただ)人の発し難きの口を発し、人の処し難きの事を処するは、年間率(おおむ)ね数次に過ぎず。紛更労擾(ふんこうろうじょう)を須(もち)ふること勿(なか)れ」(「言志録」51)”

 “せめて現在、菅氏に読んでほしい佐藤一斎の言葉を一つだけ挙げるとすれば、「言志録」(180)の次の文でもあろうか。

 「一物の是非を見て、大体の是非を問わず。一時の利害に拘(こだわ)りて、久遠(くおん)の利害を察せず。政を為すに此(か)くの如(ごと)くなれば、国危し」(ある一つの良しあしを見て、全体の良しあしを考えない。一時の利害にこだわって永遠の利益を考えない。為政者がこうであったなら国は危機である)。菅首相がこうした為政者でなく、そうならないことを切に願いたい。”

 昔の為政者は、勿論当時のことであるから、菅首相のように理工系の学問が出来たわけではないが、儒学者の言葉によく耳を傾けて、政治を行っていた。菅氏には、よく自分の耳を洗って欲しいと思う。さもなければ、国民は不幸である。

ちなみに「耳を洗う」は「世俗的なことを聞くことを避ける」という中国古典にある言葉であり、良寛は作詞『意(こころ)に可なり』の中でこの言葉を使っている。

菅氏は、戦後「自分を大事にする」教育で育った第一号世代である。65歳にもなって、今さら自分を否定するような生き方は出来ないだろう。

しかし、今、「国の為」己を棄てる覚悟を持つことができれば、新たな光が見えてくると思う。そうすれば、菅首相の事績は名誉として永遠に残るだろう。それこそ武士である。

2011年4月20日水曜日

憲法十七条 (20110420)

 推古天皇12(西暦603)4月、皇太子即ち聖徳太子は、自ら初めて「憲法十七条」をお作りになった。そのことが『日本書紀』に書かれている。偏向的学者(大山誠一氏)により、聖徳太子は実在しなかったと宣伝されているが、それは間違いである。この学者の論拠・論述に対して批判も多い。一般に東大歴史学者は、偏向・反国家的との批判がある。

 憲法十七条について誰が何と言おうと、古代日本において、道徳的中心にあったお方が、当時の政治家や官僚たちの心得を定めたものである。

 その憲法の最初に書かれているのは、誰でも知っている「和(やわらぐ)を以って貴しとし」である。これが、我々日本人の根本の精神である。

 条文は全部で17あり、その中に、菅首相に伝えたい一つがある。それは、

 「九(ここのつ)に曰はく、信(まこと)は是(これ)義(ことわり)の本(もと)なり。事毎(ことごと)に信有(あ)るべし。其(そ)れ善悪(よしあしき)成敗(なりならぬこと)、要(かなら)ず信(まこと)に在(あ)り。群臣(まへつきみたち)共(とも)に信(まこと)あらば、何事(なにごと)か成(な)らざらむ。群臣(まへつきみ)信(まこと)无(な)くは、万(よろず)の事(わざ)悉(ことごとく)に敗(やぶ)れむ。」

 である。菅首相への国民の信頼は急低下した。国民は、彼の嘘やごまかしを見過ごしてくれない。信用を築き上げるのには多くの年月を要するが、信用を無くすのは一瞬である。

 菅内閣の支持率は20%を切った。この未曾有の大災害から我が国が立ち直るためには、自民党や公明党など野党の協力がどうしても必要であるのに、その協力ができる条件が整はない。民主党がマニフェストを凍結すること、及び菅直人氏が過去の過ちを率直に認め、謝罪して首相の座から降りることであるのに、彼にはその意思がない。決断がない。

 彼は、「自分を大事にする」教育を受けて育った。「国の為、公の為自らを捧げる。」教育は全く受けておらず、軍隊(自衛隊)の経験は全くない。理工系出身であるため左脳しか働いていないのか、物事を大所高所から眺め、状況を的確に判断する能力に欠けている。つまり、指揮官としても素質がない。

 それでも彼は幾度か辛酸を経て民主党の党首になり、内閣総理大臣になったのだから、それなりの指導力はある。また、その経験を経て人物的にも向上したと思う。

 しかし、器は器、野党から「総理を辞めることが国のため」と言われ、老練な野党政治家(片山虎之助氏)から「わが身を棄ててこそ生きる道がある」と諭されても、その意味を理解できない。それは「自分を大事に」しすぎるからである。

 野党にも相談はなく、自分の周りに、自分に「よいしょ」をしてくれる補佐官や会議を沢山作った。聖徳太子十七条憲法の最後に、次の一文がある。(読下し)

 「大事は独断すべからず。必ず衆と論ずべし。もし、失(あやまち)あらんと疑ふ。衆と弁ぜば、辞(ことば)則(すなわ)ち理を得ん。」

 運は人に付いて回る。もし、菅首相が率直に過去の過ちを悔い改め、靖国神社と明治神宮に参拝すれば、不思議な力が付いて国民の「信」も得られるだろう。

2011年4月19日火曜日

平成22年度原子力総合防災訓練(20110419)

これまで関心が無かったので全く知らなかったが、今日(18日)の参議院予算員会で自民との脇雅史氏が、菅首相に鋭い質問をしていた中に、表題の原子力総合防災訓練というものが、普通の防災訓練とは別に、平成12年から毎年行われていることを初めて知った。

菅首相には、この防災訓練のことについて全く認識が無かった、ということが分かった。その訓練の総指揮官は、一般防災訓練と同じように、内閣総理大臣である。菅首相がそのときどういう訓練が行われたのか認識が全くなかったということは、驚きであった。

昨年1020日(水)及び21日(木)の2日間実施された訓練は、次の想定で行われた。これは今回の福島第一原子力発電所の事故とそっくりな状況想定であった。

想定
中部電力株式会社浜岡原子力発電所3号機において、原子炉給水系の故障により原子炉水位が低下し原子炉が自動停止。その後、非常用炉心冷却装置等が作動するものの、相次ぐ故障により、原子炉の全ての冷却機能が喪失し、放射性物質の放出のおそれがある。

脇氏は、「一国のリーダーの最も大事な責任は、国が外国により侵略されるような事態や原子力発電所の事故により放射能汚染が生じるような事態を常に念頭に置き、もしそのような事態が発生した場合は、どう対処するかということを常に準備しておくことである。そのようなリーダーでないと、人はそのリーダーの指揮のもと、自分の命を投げ出す覚悟で任務を果たすという気持ちにはなれない」という趣旨のことを述べていた。

菅首相は、戦後、アメリカの意図によって「自分を大事にする」教育を受けて育った世代の代表である。アメリカは特攻隊攻撃により多数の犠牲者を出したため、日本人の精神構造を徹底的に改造しようとした。「国の為、公の為」という教育を受けて育った戦前の人たちとは違う。菅氏を代表とする「自分を大事にする」教育を受けて育った世代のリーダーたちの意識は、そう簡単に変わるものではない。

菅氏には「有事相応とは何か」が全く判っていない。「地震発生40分後に、自衛隊に出動を命じた」と胸を張るが、自衛隊はその命令を受けた時、すでに出動準備を整えていたのである。彼がリーダーシップを発揮したわけではない。勘違いするなと言いたい。

 菅氏は、政治家として燃焼しきれないまま引退したくないと思っているようである。彼は何が何でも自分が復興の足がかりをつけ、財政再建の道筋をつけたいと考えている。

 菅氏が掲げる目的は間違っていない。しかしその目的を達成する手段が間違っている。菅氏は、目的を掲げるのも自分、その目的を達成する手段を選び、実行するのも自分であると力んでいる。其処に彼の私心がある。国民にとってこんな不幸なことはない。

彼は、元々市民運動家。総理の器ではない。スリーマイル島の原発事故のときのカーター元大統領と、その器において雲泥の差がある。カーターは元海軍将校で、原子炉に関する知識と事故処理など経験があった。だから、カーターはその事故発生直後に的確な指揮ができた。関連ブログ記事「緊急対処の仕方について日本とアメリカの違い(20110413)」。

2011年4月18日月曜日

民主党政府不信任決議をせよ!(20110418)

 クリントンアメリカ国務長官が来日した。菅首相は、クリントン長官に、今回のアメリカの支援に対して深い感謝の意を伝えた。天皇・皇后両陛下は、20年間の旧知だというクリントン長官を宮中に招き、正面玄関まで出迎えられた。

 さて、此の度の大災害の救援にあたり、アメリカ軍が非常に良く支援してくれた。仙台空港に在沖縄アメリカ海兵隊の兵士たちがパラシュート降下し、被災した同空港のがれきを撤去し、先ずヘリコプター4機が離発着できるようにし、続いて自衛隊輸送機を含む軍用機の離発着が出来るようにしてくれた。

 そのことは、災害救助活動における初動措置として非常に重要なことであったのに、民主党政府はその事実を国民に一度も説明しなかった。朝日新聞もそのことを報じなかった。琉球新報に至っては、パラシュート降下を、アメリカ軍が沖縄から戦場に向かうための訓練であるとして、うがった見方で報じた。

 東北沖合に急派された空母ドナルドレーガンなどの艦船の活動について、民主党政府は上記同様、日本国民に何一つ具体的な報告はしなかった。何故なのか?

 今朝カリフォニアに住むアメリカの友人とSkypeで話したが、アメリカでは日本におけるアメリカ軍の活動状況がテレビで詳細に報じられているという。民主党政府は、日本とアメリカの同盟関係を深化させると口先では言うが、その実は敢えてアメリカを頼りにしない姿勢を貫いている。菅首相が来日したクリントン長官に、深い感謝の意を伝えたが、心がこもっていない。クリントン長官は、民主党政府にネジを巻きに来たのだ。

 一方で、10万人規模の自衛隊の活動について、口先では感謝の言葉を発しているが、これも全く心がこもっていない。災害救助活動中、二人も過労で倒れ死んだのに、その事実について政府は全く無視した態度である。自衛隊員は、テント暮らしをしながらもう1ヵ月以上も現地で頑張っている。自衛隊による炊き出しで、当初は、自衛隊員は缶詰の食事をしながらも、避難者たちには暖かいご飯を食べさせていた。入浴だって同様である。

 自衛隊がそのように奉仕しているのに、民主党政府は、自衛隊をまるで召使いのようにこき使っている。国民に対して何一つ、自衛隊を讃える言葉を発していない。

 五百旗頭防衛大学校校長を、菅首相の「私的」諮問機関「東日本大震災復興構想会議」の座長に据えた魂胆は何か?自衛官らの、民主党政権に対する反感を念頭に置いてか? そうとしか思えない。五百旗頭防衛大学校校長は、自衛隊幹部には人気が無いと聞く。

 小沢氏は、今の状況ではクーデターが起きてもおかしくないと言った。小沢氏には過去の彼の言動により反発感があるが、彼の政治的手腕は誰も認めるところである。

 この際。自民党・公明党は菅内閣府信任決議案を提出して貰い、小沢グループと組んで菅政権を倒して貰いたい。菅氏は菅氏なりに精いっぱい頑張った。人は、所詮自分の器以上の器を測ることはできない。菅氏にはそれなりの花道を作ってやって、退陣してもらうことがこの日本の為である。

2011年4月17日日曜日

テレビ放送『山口淑子・激動の半生』に思う(20110417)

 大事なことを忘れずに行い、あれこれしなければならないことをして、あっと言う間に時が過ぎてゆく。こうしていつのまにか老齢になってしまった。かつて背広を着、定刻に家を出て勤め先に向かい、勤め先で多くの時間を費やし、俸給や賞与を貰っていた頃には、週末や休日などに気分を転換し、メリハリのある時間を過ごしていた。

しかし、今は毎日が日曜日のような日々である。老夫婦、暮らしは貧乏でもなく、さりとて豊かと言えるものでもなく、しかし、日々満ち足りて何一つ問題らしい問題を抱えていない。趣味ごとなど好きなことをし、体調の管理のためストレッチやウオーキングなど多少の運動をし、食事のあとテレビのスイッチを入れ、気に入ったものが放送されていればそれを見たりして過ごしている。

 たまたまBSのテレビ朝日で表題の番組が放送されていた。日本人が戦前と戦後でどう違っているのかということについてずっと関心があったので、その番組に惹き入れられてしまって、老妻とともに最後まで見てしまった。

 山口淑子の話によると、彼女が上海で玉音放送を聴いたとき、軍人たちは皆泣いていたが、彼女は、口にこそ出せなかったが、心中嬉しくて、嬉しくてしょうがなかったという。軍人たちは、皇国の赤子として忠誠を尽くしていた天皇陛下のお言葉に、自分たちがあれほど多くの犠牲を払いながらも守り切れなかった国家体制が、いまここに崩れてしまうという事態に直面し。日本の行く末のことを憂い、悲しく、悔しかったのである。

 山口淑子は、心から日本を愛し、同時に心から中国も愛していた。人民のレベルでは、日本人も中国人も差はない。皆、同じ人間である。今回の東日本大震災で、中国人民は心から日本人民に同情の気持ちを寄せてくれており、精一杯の支援をしてくれている。話す言葉は違っていても、何千年以上の昔、共通の母、共通の父が多い人民同士である。

 ところが、国益のレベルでは、両国お互いに反目しあう。それは両国がEUのように、先ず経済共同体になり、ゆくゆくは政治共同体にまで発展して行かない限り、無くすことはできないものである。しかし、いつか未来には、そのような反目は無くなるだろう。

 国益を守る交渉の前面に立つのは、外交である。外交の最も有力な手段は軍事である。アメリカから押し付けられた平和憲法下、集団的自衛権も発揮できない我が国の状況では、湾岸戦争開始前のイラクでの人質問題は解決する道が無かった。核武装し、国連の常任理事国であるフランスは、米英とは軍事同盟関係にありながらも、独自の外交を展開できた。その状況は今も変わらない。だから、フランスはいち早く自国民人質を解放させることができた。日本は、元海軍軍人であった中曽根元首相が単身イラクに乗り込み、サダム・フセインと直接交渉して、たった20人だけ邦人人質の解放を行うことが出来ただけである。

 戦後、国家のことよりも自分の幸福のことが大事であると教え込まれた世代の、今の政治家たちには、是非とも、「軍事は外交の最重要手段である」という認識を持って頂きたいものである。此の度の大震災で、少しはその認識が深まったとは思うが・・・。