2011年4月22日金曜日


平和ボケし、「市民」を標榜してきた政治家たちに猛省を促したい(20110422)

 『国家と共同体を心に刻みつけた』と題して、拓殖大学学長渡辺利夫氏が、msn産経ニュースに「正論」を寄稿しておられる。

 氏は、大戦時の空襲により真っ赤に燃える甲府の街を恐怖に震え逃げ惑いながら負った火傷(やけど)の痕がが、上半身にはいくつものあるという。ご母堂の里に避難した後、ご自分が家のあった辺りに戻った時目にしたのは、2つの地場の百貨店が黒く焼け爛(ただ)れて立っているだけで、他は延々の焼け野原であったということである。

 以下、氏の寄稿をここに引用する。
“東日本大震災、津波が黒く巨大なエネルギーの塊となって太平洋側の町や村を次々と飲み込み吐き捨て残していった瓦礫(がれき)の山は、幼少期の経験と二重写しとなって私のトラウマを呼び戻す。「第2の敗戦」である。”

“大震災以前、多くの日本人は国家と共同体に価値を求めず、自由な個として生きることを善しとする気分の中に漂っていた。国家とは口にしにくいから市民社会と言い、国民とも言いにくいので市民と言うような気分である。地球市民などという迷妄の用語を弄ぶ政治家さえいた。私はそういう気分のことをポストモダニズムと呼び、こんな軽薄な気分ではナショナリズム鬱勃たる中国、ロシア、朝鮮半島を近在に擁する日本は彼らと共存することさえ難しいと本欄を通じ何度も主張してきた。”

“実際、尖閣諸島沖の中国漁船衝突事件、ロシア首脳の国後島訪問、北朝鮮軍による韓国・延坪(ヨンピョン)島砲撃事件と、日本の安全を脅かすことごとが起こったものの、民主党政権は主権国家としてのまともな対応を何もしないままに打ち過ごしてきた。のみならず、日本の安全を保障する唯一の制度的装置たる日米同盟を危殆(きたい)に貶(おとし)めて恬然であった。国家観念の希薄な政権中枢部にあっては、国益とは何かが不分明だったのであろう。”

氏は、犠牲を厭(いと)わず被災民の救済に献身する自衛隊、消防、警察、海保などを讃え、2万人近い兵力を投入、空母ロナルド・レーガンをはじめ20隻の艦艇、140機の航空機をもって救助活動を展開した米軍を讃え、また、東北地方の農漁村の共同体の中に、共同体を共同体たらしめている精神と原理を指摘し、

また、天皇陛下のお言葉、「被災した人々が決して希望を捨てることなく、身体(からだ)を大切に明日からの日々を生き抜いてくれるよう、また、国民一人びとりが、被災した各地域の上にこれからも長く心を寄せ、被災者とともにそれぞれの地域の復興の道のりを見守り続けていくことを心より願っています」に、日本国家の有り様が表出されていると論じておられる。

そして此の度の大震災を「天罰」とせず「天恵」として受け止めねばならないと言っておられる。

私は、今回の大災害には、人智を超越したところに起因するものも、きっとあるに違いないと思っている。故に、日本の国と民の為、菅首相には「市民」世代を代表して政界から身を引き、靖国神社、明治神宮、伊勢神宮に参拝して頂きたいと、強く思うのである。

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