2011年4月29日金曜日

早く逝くのも遅く逝くのも (20110429)

 年寄りは殆ど誰でも「長生きしたい」と言う。一方で、「人生に悔いは無いから何時死んでもよい」と言う人もいる。人生の道半ばで「今死ぬのは悔しい」と思う人も沢山いる。

 人生は、自己完成への道程である。一概に自己完成と言っても、人それぞれ目標も目標の質や量も違う。自分を厳しく律して克己勉励努力することが理想であるが、凡人は身の丈に見合う目標を設定するのが一番良いだろう。

 子どもの時から塾通いし、受験勉強に多くのエネルギーを費やし、神経をすり減らして他者との競争に打ち勝つ。それが自分の喜びや達成感につながるのであれば、その目標はその人の身の丈に見合ったものであると思う。一流のスポーツ選手は、持って生まれた自分の素質を最大限に引き出し、極限の値まで自己完成を目指す。それは、その選手にとって大いなる喜びであるからである。

 此の度の大震災で、非常に多くの人たちが命を失った。その中には、ある消防団長や、ある消防官やある福祉施設のリーダーやある企業のリーダーなど、自分を救うことよりも先ず他者を救うため行動した方々がいる。

ある村の消防団長は、鐘楼に登り半鐘を打ち鳴らして、必死に住民に必死に非難を呼び掛けた。その時、その団長は同じ村の団員に「早く逃げろ!」と叫んだ。「あの時の団長の顔には鬼気迫るものがあった」、とその団員は述懐している。

 平常ならば無名で人生を終える人びとであったが、生か死かの時、それらの人たちはやむにやまれぬ行動に駆り立てられ、命を絶った。そして、後世にその名を遺した。

大連から来た中国人研修生たち20人を真っ先に神社に避難させたある水産会社の役員は、その20人の安全を確認したあと、寮に残した妻子を避難させるため寮に戻った。彼は20人の中国人研修生の目の前で波に呑みこまれて死んだ。研修生たちは大連で募金活動を行い、その役員(佐藤 充さん)のため、佐藤さんの会社のあった辺りに碑を建てると言う。

日ごろ、自分のことよりも他者のことを思い、欲のない正直な人は、普段目立たなくても非常時には立派な行動をすることができると思う。此の度の大震災で、多くの無名の方々が、そのような立派な行動をし、死んでいった。

まして、名のある人びと、特に国会議員は、昔なら幕府に勤める身分と同じ立場である。昨日、小沢一郎元代表の資金管理団体「陸山会」の政治資金規正法違反事件で、中堅ゼネコン「水谷建設」元社長が、小沢元代表の秘書に計1億円の裏金を提供したことを認めた。小沢氏らと上述無名の方々とは、その心根において雲泥の差がある。

吉田松陰は、刑死前、次の歌を遺した。

   かくすればかくなるもとと知りながら やむにやまれぬ大和魂

 早く逝くのも、遅く逝くのも、その人生の重みは人それぞれである。一般国民は心の深奥では、国会議員が昔の武士の精神をもっていることを期待している。利権にすりより、金に汚れ、「市民」を標榜する国会議員たちは、自らを顧み、身を引き締めた方がよい。

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