2011年4月20日水曜日

憲法十七条 (20110420)

 推古天皇12(西暦603)4月、皇太子即ち聖徳太子は、自ら初めて「憲法十七条」をお作りになった。そのことが『日本書紀』に書かれている。偏向的学者(大山誠一氏)により、聖徳太子は実在しなかったと宣伝されているが、それは間違いである。この学者の論拠・論述に対して批判も多い。一般に東大歴史学者は、偏向・反国家的との批判がある。

 憲法十七条について誰が何と言おうと、古代日本において、道徳的中心にあったお方が、当時の政治家や官僚たちの心得を定めたものである。

 その憲法の最初に書かれているのは、誰でも知っている「和(やわらぐ)を以って貴しとし」である。これが、我々日本人の根本の精神である。

 条文は全部で17あり、その中に、菅首相に伝えたい一つがある。それは、

 「九(ここのつ)に曰はく、信(まこと)は是(これ)義(ことわり)の本(もと)なり。事毎(ことごと)に信有(あ)るべし。其(そ)れ善悪(よしあしき)成敗(なりならぬこと)、要(かなら)ず信(まこと)に在(あ)り。群臣(まへつきみたち)共(とも)に信(まこと)あらば、何事(なにごと)か成(な)らざらむ。群臣(まへつきみ)信(まこと)无(な)くは、万(よろず)の事(わざ)悉(ことごとく)に敗(やぶ)れむ。」

 である。菅首相への国民の信頼は急低下した。国民は、彼の嘘やごまかしを見過ごしてくれない。信用を築き上げるのには多くの年月を要するが、信用を無くすのは一瞬である。

 菅内閣の支持率は20%を切った。この未曾有の大災害から我が国が立ち直るためには、自民党や公明党など野党の協力がどうしても必要であるのに、その協力ができる条件が整はない。民主党がマニフェストを凍結すること、及び菅直人氏が過去の過ちを率直に認め、謝罪して首相の座から降りることであるのに、彼にはその意思がない。決断がない。

 彼は、「自分を大事にする」教育を受けて育った。「国の為、公の為自らを捧げる。」教育は全く受けておらず、軍隊(自衛隊)の経験は全くない。理工系出身であるため左脳しか働いていないのか、物事を大所高所から眺め、状況を的確に判断する能力に欠けている。つまり、指揮官としても素質がない。

 それでも彼は幾度か辛酸を経て民主党の党首になり、内閣総理大臣になったのだから、それなりの指導力はある。また、その経験を経て人物的にも向上したと思う。

 しかし、器は器、野党から「総理を辞めることが国のため」と言われ、老練な野党政治家(片山虎之助氏)から「わが身を棄ててこそ生きる道がある」と諭されても、その意味を理解できない。それは「自分を大事に」しすぎるからである。

 野党にも相談はなく、自分の周りに、自分に「よいしょ」をしてくれる補佐官や会議を沢山作った。聖徳太子十七条憲法の最後に、次の一文がある。(読下し)

 「大事は独断すべからず。必ず衆と論ずべし。もし、失(あやまち)あらんと疑ふ。衆と弁ぜば、辞(ことば)則(すなわ)ち理を得ん。」

 運は人に付いて回る。もし、菅首相が率直に過去の過ちを悔い改め、靖国神社と明治神宮に参拝すれば、不思議な力が付いて国民の「信」も得られるだろう。

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