2011年4月21日木曜日

大綱を統ぶるのみ(20110421)

 これは、オンライイン「産経新聞ニュース」政治欄に寄稿されている東京大学教授・山内昌之氏の『歴史の交差点』の記事のタイトルの一部である。以下、その要点を引用する。

 “--大臣の職務は、仕事でいちばん大切なところだけを大体押さえておけばよい。日常の細かい事柄は、従来のやり方に依拠することもできる。ただ大臣の重要な職務は、人の言いづらいことを語り、人の処理が難しい事柄を処理する点にある。このようなことは1年間に数回にすぎないほどだ。従って、平素から細かいことに関わりあって疲れ、心を乱すことがあってはならない。

 まるで現代の評論家が政治主導と脱官僚にこだわる菅直人首相にあてつけたような発言である。しかし、実際にこう述べたのは、江戸後期の儒学者の佐藤一斎(いっさい)である。その著『言志四録(げんしろく)』は、さながらギリシャの歴史家プルタルコスや仏思想家モンテーニュの箴言(しんげん)や警句にも匹敵するエスプリをちりばめた叡智(えいち)の書として知られる。坂本龍馬、勝海舟、西郷隆盛などの先人も愛読した。かれらも疲れたときは、この書物を読んで癒やされたに違いない。”

 “冒頭の文章は原文ではこうである。
 「大臣の職は、大綱を統(す)ぶるのみ。日間(にっかん)の瑣事(さじ)は、旧套(きゅうとう)に遵依(じゅんい)するも可なり。但(ただ)人の発し難きの口を発し、人の処し難きの事を処するは、年間率(おおむ)ね数次に過ぎず。紛更労擾(ふんこうろうじょう)を須(もち)ふること勿(なか)れ」(「言志録」51)”

 “せめて現在、菅氏に読んでほしい佐藤一斎の言葉を一つだけ挙げるとすれば、「言志録」(180)の次の文でもあろうか。

 「一物の是非を見て、大体の是非を問わず。一時の利害に拘(こだわ)りて、久遠(くおん)の利害を察せず。政を為すに此(か)くの如(ごと)くなれば、国危し」(ある一つの良しあしを見て、全体の良しあしを考えない。一時の利害にこだわって永遠の利益を考えない。為政者がこうであったなら国は危機である)。菅首相がこうした為政者でなく、そうならないことを切に願いたい。”

 昔の為政者は、勿論当時のことであるから、菅首相のように理工系の学問が出来たわけではないが、儒学者の言葉によく耳を傾けて、政治を行っていた。菅氏には、よく自分の耳を洗って欲しいと思う。さもなければ、国民は不幸である。

ちなみに「耳を洗う」は「世俗的なことを聞くことを避ける」という中国古典にある言葉であり、良寛は作詞『意(こころ)に可なり』の中でこの言葉を使っている。

菅氏は、戦後「自分を大事にする」教育で育った第一号世代である。65歳にもなって、今さら自分を否定するような生き方は出来ないだろう。

しかし、今、「国の為」己を棄てる覚悟を持つことができれば、新たな光が見えてくると思う。そうすれば、菅首相の事績は名誉として永遠に残るだろう。それこそ武士である。