2011年4月26日火曜日

田中好子の遺言 (20110426)

 元キャンディーズ3人娘の一人、田中好子さんが、乳がんを患って19年間の闘病の末、55歳でこの世を去った。この世を去る直前、音声でメッセージを遺した。最初の言葉は、東北の被災された方々への思いであった。病床にあって何も出来なかったが、「あの世」から自分にできることをしたいと語った。遺言の最期の言葉は、「さようなら」であった。

 彼女は、最後の最期まで、凛として生きた。私事になるが、私は9歳の時、33歳だった生母を乳がんで失っている。それは、終戦直後の昭和2112月のことであった。

 終戦直後、8月、9歳と7歳の息子二人を連れ、背中に2歳の娘をおんぶし、両手に大きな荷物を持ち、今の韓国慶尚北道から釜山を経て、連絡船で引き揚げてきた。夫(私の父)は、小学校の校長をしていたので一緒に引き揚げることはできず、9月に帆船で引き揚げてきている。

 その母が乳がんになり、別府の病院で左右片方づつ、乳がんの摘出手術を受けたが、既に手遅れであった。がんは背中全体に転移し、母のやせ細った背中はこぶだらけであった。

 相当苦痛であったと思うが、その苦痛の様子を私や弟には一度も見せたことはなかった。ある日、いつものように「起こしておくれ」と言ったので、当時9歳であった私は、母を寝床から起こしてあげた。いつもなら「背中をさすっておくれ」と言ったのに、その時は「御仏壇からお線香を取ってきておくれ」と言った。そして自分の体を「東に向けておくれ」と言った。そして、「お父さんを呼んできておくれ」と言った。

母は線香に火を付け、東に向かって両手を合わせたのだと思う。私は裏山で枯れ落ちた松葉を掻き集める作業をしていた父を呼びに、そこに向かって走った。父と一緒に戻って来た時には、母は既にこと切れていて、寝床に寝せられていた。

 がんは、身体をむしばみ、生命活動が出来なくなるようにするが、脳の活動は最期までしっかりしているようである。

 33年前、日航ジャンボ機が墜落したとき、何人かの人が死の直前、愛する家族にメッセージを遺している。人は、頭脳がしっかりしている限り、自分の体の生命活動が消える瞬間まで、精神活動を行うことができる。

 国体も人間の体と同じようなものである。国家としてきちんとしてゆくためには、頭脳である政府がしっかりしていなければならない。「想定外」という官僚用語は、今後一切無用である。2000年前、四国の高知にマグニチュード9級の巨大地震による巨大津波があった痕跡が見つかっている。

 もし、伊豆大島・房総半島の間を通り相模湾までの相模湾トラフに沿って、そのような巨大地震が発生したら、この日本はどうなることだろうか?
 
 政府は、国会議員と中央官庁の国家公務員で構成されている。国会議員と中央官庁の国家公務員に「私心」があり、「国家」に殉ずる覚悟がないままの状態であるときに、もし、今、そのような巨大地震が発生してしまったら、この日本と言う「国体」は次第に衰弱し、ゆくゆくは、国は亡んでしまうことだろう。

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