2011年4月28日木曜日

福沢諭吉と愛国 (20110428)

 表題は、『人生歳時記』(飯田豊二編集、博正社出版)に載っている元慶応義塾塾長小泉信三の言葉の題である。この本は古く、昭和46年に定価1300円で購入していた本である。
 今、我が国が危急の時、ここに、その一部を引用し、日本人のあるべき姿を考える。

 “福沢諭吉先生の国権論は一朝一夕のものではない。多くの人は先生を、個人の自由独立を説いて脳裏に国家なき者のように解しているが、私は先生の如き烈烈の真の愛国者を見たことがない。

 明治十五年までは先生の念頭を圧迫したものは常に欧米列強の東漸であった。武備を厳にして西洋諸国に当たるものは日本国民の外にはない。日本の軍備は独り日本一国を護るのみならず東洋諸国を保護するためのものだから、その規模も遠大にしなければならぬと力説した。

 しかるに朝鮮問題で日支の国交が切迫するに至って先生は支那に対する警戒を説き出した。先生は終始開戦の避け難きを期し、そのために用意を説くに最も熱心なる一人”

 “開戦第一の勝報が達すると、先生は直ちに時事新報紙上に、大いに資金を募集して軍費を償わんと提唱し、自身率先して金一万円を義捐した。当時の一万円は何といっても大金である。先生は家計を取締め、老後家計上の心配も顧みず醵金を決した。先生はそれを文章に書いた。”

 “壮時外遊して日本国の弱小を嘆き、涙を呑んで通宵眠らざりしは毎度であった処から筆を起こし、国の栄辱浮沈の分かれる所、今回の戦争は如何なる事情、如何なる困難があっても是非とも勝たねばならぬ大戦争であるが、その大切な戦争に資金を以って成功を助けることが出来るとあっては聞き捨てならぬ。家内相談の上金一万円を出すことにした。”

 “先生は「日本国民の覚悟」を説いた。戦争中は官民共に政治上の恩讐を忘れよ、事の終局に至るまで謹んで政府を非難するな、人民相互の愛国の義を奨励して私は人と争い、人の気をくじくようなことはしてはならぬ。父母の病中に兄弟喧嘩をしないように、一切の議論や理屈は戦いがすんでからにして貰いたいと論じたのである。”

 殆どの日本国民は、上記のような文章に接したことはないだろう。そして、「日本はアジアを侵略した、日本人は悪いことをした」と、言葉には出さぬが内心そう思い込んでいるだろう。日本を二度と立ち上がれないように目論んだ欧米、それに便乗して漁夫の利を得たロシアや中国の思惑あり、東京裁判で日本人は自虐史観を植え付けられてしまった。

 今、未曾有の大震災を被り、日本国民はそのことに気づき始めている。平成11年に施行された国旗国歌法に、反対した国会議員が多数いた。これらの人々の思想は変わってきたと思いたい。
与党民主党内で小沢一派が菅下しを図っている。これが与野党団結の妨げになっている。

参考までにこの法案に反対した民主党国会議員は46人いた。その中に赤松広隆、生万幸夫、枝野幸男、大畠章宏、海江田万里、河村たかし、菅直人、土肥隆一、鉢呂吉雄、原口一博、細川律夫、前原誠司、松本龍、横路孝弘ら各氏が含まれている。

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