2011年4月17日日曜日

テレビ放送『山口淑子・激動の半生』に思う(20110417)

 大事なことを忘れずに行い、あれこれしなければならないことをして、あっと言う間に時が過ぎてゆく。こうしていつのまにか老齢になってしまった。かつて背広を着、定刻に家を出て勤め先に向かい、勤め先で多くの時間を費やし、俸給や賞与を貰っていた頃には、週末や休日などに気分を転換し、メリハリのある時間を過ごしていた。

しかし、今は毎日が日曜日のような日々である。老夫婦、暮らしは貧乏でもなく、さりとて豊かと言えるものでもなく、しかし、日々満ち足りて何一つ問題らしい問題を抱えていない。趣味ごとなど好きなことをし、体調の管理のためストレッチやウオーキングなど多少の運動をし、食事のあとテレビのスイッチを入れ、気に入ったものが放送されていればそれを見たりして過ごしている。

 たまたまBSのテレビ朝日で表題の番組が放送されていた。日本人が戦前と戦後でどう違っているのかということについてずっと関心があったので、その番組に惹き入れられてしまって、老妻とともに最後まで見てしまった。

 山口淑子の話によると、彼女が上海で玉音放送を聴いたとき、軍人たちは皆泣いていたが、彼女は、口にこそ出せなかったが、心中嬉しくて、嬉しくてしょうがなかったという。軍人たちは、皇国の赤子として忠誠を尽くしていた天皇陛下のお言葉に、自分たちがあれほど多くの犠牲を払いながらも守り切れなかった国家体制が、いまここに崩れてしまうという事態に直面し。日本の行く末のことを憂い、悲しく、悔しかったのである。

 山口淑子は、心から日本を愛し、同時に心から中国も愛していた。人民のレベルでは、日本人も中国人も差はない。皆、同じ人間である。今回の東日本大震災で、中国人民は心から日本人民に同情の気持ちを寄せてくれており、精一杯の支援をしてくれている。話す言葉は違っていても、何千年以上の昔、共通の母、共通の父が多い人民同士である。

 ところが、国益のレベルでは、両国お互いに反目しあう。それは両国がEUのように、先ず経済共同体になり、ゆくゆくは政治共同体にまで発展して行かない限り、無くすことはできないものである。しかし、いつか未来には、そのような反目は無くなるだろう。

 国益を守る交渉の前面に立つのは、外交である。外交の最も有力な手段は軍事である。アメリカから押し付けられた平和憲法下、集団的自衛権も発揮できない我が国の状況では、湾岸戦争開始前のイラクでの人質問題は解決する道が無かった。核武装し、国連の常任理事国であるフランスは、米英とは軍事同盟関係にありながらも、独自の外交を展開できた。その状況は今も変わらない。だから、フランスはいち早く自国民人質を解放させることができた。日本は、元海軍軍人であった中曽根元首相が単身イラクに乗り込み、サダム・フセインと直接交渉して、たった20人だけ邦人人質の解放を行うことが出来ただけである。

 戦後、国家のことよりも自分の幸福のことが大事であると教え込まれた世代の、今の政治家たちには、是非とも、「軍事は外交の最重要手段である」という認識を持って頂きたいものである。此の度の大震災で、少しはその認識が深まったとは思うが・・・。 

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