2011年5月4日水曜日

もうこれでよかろう(20110504)

 振り返れば、平成21年(2009年)6月ごろから、私は憂国の念に駆られ、このブログにいろいろ政治的な批判の記事を書いてきた。

その理由は、田母神元航空幕僚長を、自民党政権が容赦なく‘切腹’させたことに対し、志のない自民党政治家に対する怒りもあり、また民主党政権誕生に対する警戒心もあったからである。

去る311日午後246分、東北地方の太平洋海底に巨大地震が発生し、東北から関東北部にわたる海岸線500キロメートルにわたり大津波による大災害が発生した。

大津波による被災者に加え、その原子力発電所の事故による緊急避難のため、発災から50数日経った今なお13万人の人々が避難所暮らしを強いられている。

我が国がこのような未曾有の大災害に遭い、日本人は国家というもの、そして共同体の絆というものを改めて認識した。政権を取った当初、昭和維新だと意気込んでいた民主党も党内に異論がくすぶっているものの現実的な路線を歩み始めた。

政治的批判の記事を書き始めたのは随筆『日々是支度』のラベル「憂国」で、2009616日の「武士の魂」からである。ラベル「武士道」及び「武士道後記」以外で政治的批判の記事はラベル「憂国」「日本人はどうあるべきか」「外国人参政権について思う」「やましき沈黙」の四つにまとめている。

投稿はある時から同じ記事を複数のプロバイダーのブログサービスを利用して行ってきた。FacebookTwitterも利用してきた。それはできるだけ多くの人たちに私の主張に関心を持って頂きたいと思ったからである。

勿論これまで政治批判ばかり書いていたわけではなく、日記を書いたり年末年始の期間などには記事の事前予約投稿に好都合なように物語小説『母・ともゑ』など小説風に書いたものなどがある。

ラベル「日本人はどうあるべきか」では、2009624日の『旧皇族が書いた本』他80件。「外国人参政権について思う」では2009820日の『日本列島は日本人だけのものではない?』他8件、「やましき沈黙」では、2009817日の『核三原則』他4件の記事を書いた。書いた本人の主語は「男」であったり「老人」であったりした。

このように私は政治的批判の記事を沢山書いたがもうこの辺で終わりにしようと思う。その理由は「いい齢をしていつまでそのようなガチガチしたことに取りつかれているのか」という自嘲もあり、たかが無学無名の一市井の年寄りががちゃがちゃやっても世の中はそう簡単に変わるものではない、自己満足でやっているだけではないか、という自己批判もあるからである。

明日からは主語を以前のように「老人」か「男」に戻し、私自身を客観的に視、いよいよ本来の日々是「死」支度をしてゆこうと思う。それが後何年続くのか、何十年ぐらい続くのか全く予測はつかないが・・・。