2010年2月5日金曜日

ブッダ「真理のことば」を学ぶ(14(20100205)

第八章は「千という数にちなんで」という題である。

100 無益な語句を千たびかたるよりも、聞いて心の静まる有益な語句を一つ聞くほうが優れている。
110 素行が悪く、心が乱れていて百年生きるよりは、徳行あり思い静かな人が一日生きるほうがすぐれている。
111 愚かに迷い、心の乱れている人が百年生きるよりは、智慧あり思い静かな人が一日生きるほうがすぐれている。
114 不死(しなない)境地を見ないで百年生きるよりも、不死の境地を見て一日生きることのほうがすぐれている。

「不死の境地」について、著者・中村 元は、訳注に「amatam padam.漢訳『法句経』には「甘露道」と訳している。古代インドでは甘露の汁液をamataと呼んだので、「甘露」と訳したのであろう。しかし原文ではそれを「飲む」とは言わないで、それを「見る」というからamataはやはり「不死」の意味である。」と言っている。

 さて、男はこの第八章を読んで、西行の作詩と夢窓疎石の作詩『修学』を思いだした。『至善』の詩文には「一日を一生として」という句がある。『修学』は;
  一日の学問 千載の宝  百年の富貴一朝の塵
  一書の恩徳 万玉に勝る 一言の教訓 重きこと千金
というものである。(関連記事:20091210日木曜日、「老楽は唯至善を行うにあり(20091210)」、2009102日金曜日「夢窓国師の作詞『修学』(20091002)」)
http://hibikorejitaku.blogspot.tw/2009/10/20091002-200909831-20090915.html

  夢窓疎石は夢窓国師とも敬称される。夢窓国師は建治元年(1275年)に伊勢の源氏の家(佐佐木氏)に生れ、母は平氏の出であった。77歳で没している。23歳の時円覚寺で才能を見いだされ、25歳の時元(中国)から来朝していた寧一山の許で建長寺の首座になり、その後紆余曲折はあったが寧一山の教えを受けている。鎌倉から南北朝の時代、北条家、足利家、後醍醐天皇から深く帰依され、足利尊氏の弟直義と問答をし、世に七朝の帝師と仰がれた方である。(関連記事:2009101日木曜日、「前世、今生、来世(20091001)」)
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  今、日本には国師はいない。ニュースで国民新党の亀井氏が国会で永住外国人参政権付与反対の立場で意見を述べていたが、男は亀井氏の発言に幾分救われた気持ちである。しかし小沢氏は起訴・不起訴について4日の時点ではまだはっきりしていない。男は、民主党の心ある国会議員たちまでもが旧海軍のエリートたちが犯した過ちのような「やましき沈黙」をして小沢氏に引きずられ、党首・総理の鳩山氏が煮え切らない態度を示し、この日本を間違った方向に持って行こうとしている不安感をどうしても拭いきれない。(「やましき沈黙」関連記事:2009816日日曜日、「長崎への原爆投下(20090816)」)
http://hibikorejitaku.blogspot.tw/2009/08/20090816-63km-850-nhk40065-wasp.html