2010年2月12日金曜日

ブッダ「真理のことば」を学ぶ(21(20100212)

昨日(8日)、山本病院の理事長・山本(医師)と塚本(医師)が不必要な手術をして患者を死亡させたとして逮捕された。手術前のエックス線写真で肝臓に腫瘍ができていないと判断されていたにもかかわらず、その判断が誤りだと言って強引に手術をし、出血多量の状態になったにもかかわらず、適切な処置もせず放置したという。
テレビで山本の顔が映し出された。その顔つきはいかにもそのようなことをやりそうな顔つきである。その親、母親の顔が想像されるような顔つきである。塚本はその病院に雇用されたばかりのときであったので、理事長山本の命令に従わざるを得なかったという。
これが殺人でなくて何だろうか? 世の中にこのような傲慢な輩は沢山いる。自分が偉いと思いこんでいる。「先生」とか「先生御侍史」と呼ばれて悦にいっている。人間に対する尊厳の心は微塵だにもない。その「先生」の妻たちも、たいして教養もないのに世間から敬意を表されて、身を金銀真珠などの装飾でつつみ「~ざあますのよ」とお高く止まっている。世間の人々はそのような人種に軽蔑の眼を向けながらも、そのような人種に憧れ、そのような人種と交流していることを誇りたがる。
テレビの朝の番組で同世代と思われる各界の人士が昨今の話題についてわいわいがやがやと語り合っている。皆楽しそうである。現在の社会では大学時代の交友の雰囲気を卒業後も持ち続けるのが楽しいのかもしれない。其処には‘個’としての自己が確立されているように見えて、実は自立していないように見える。彼らはあとで何処かに立ち寄りビールのジョッキを傾けたりするのであろうか?皆、他者を差別しないと不安なのだ。
皆、誰か、何かに寄りかからなければ不安のである。「自分自身」ではない「他者」に拠りどころを持たなければ、不安で仕様がないのである。かくいう男自身も例外ではない。しかし、少なくとも男はブッダの教えを学ぼうとしている。齢も齢なので多少「自己を拠りどころ」にして行きたいと思っている。33歳で従容として逝った生母のことが念頭にある。
男がもしもっと早い時期からブッダの教えを真剣に学んでいたならば、と思うことがあるが、その時期は若く元気で煩悩の真最中にあった。今の時代、生きて行くために学ばなければならないことが余りにも多く、ブッダの教えを学ぶ時間が余りにも少ないのだ。

ブッダ「真理のことば」第十四章を続ける。
183 すべて悪しきことをなさず、善いことを行い、自己の心を浄(きよ)めること、これが諸の仏の教えである。
184 忍耐・堪忍は最上の苦行である。ニルヴァーナは最高のものであると、もろもろのブッダは説きたまう。他人を害する人は出家者ではない。他人を悩ます人は(道の)人ではない。
186 たとえ貨幣の雨を降らすとも、欲望の満足されることはない。「快楽の味は短くて苦痛である」と知るのが賢者である。

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