2010年2月14日日曜日

 ブッダ「真理のことば」を学ぶ(23(20100214)

 ブッダ「真理のことば」第十五章は「楽しみ」である。人は限られた人生を楽しく生きたいと願う。楽しみのため、大いに稼ぎ、富を蓄え、優越を味わいながらこの浮世を楽しみたいと願う。男もかつて金銭的な、物質的な豊かさに憧れ、夢を追い続け、もがいていた時代があった。晩節を汚し、新聞やテレビ報道に不名誉な登場をする男たちがいる。昨今は40代前後の女がお金欲しさに何人もの男を騙し、殺し、ニュースになっている。皆、はかない、幻のような‘富’を追い求めている。

 男はこの齢になってようやく煩悩から遠ざかりつつある。良寛の作詩『意(こころ)に可なり』『無心』などが大好きである。良寛は今の新潟県西蒲原郡国上(くにかみ)山の国上(こくじょう)寺境内にあった五合庵に47歳のときから13年間住んだが、良寛が70歳のとき29歳年下の貞信尼との間で恋歌を贈答し、その貞信尼に看取られつつ74歳で没している。男は、良寛は貞信尼との間で本当の恋をしたのではないかと思う。

 男も女も、最期までそれぞれの魅力を保ち続けるべきである、と男は考えている。その理由は、それこそが人生を最期までよりいきいき生きる力の源泉であると確信するからである。いつの世も真理は変わらない。ブッダの言葉に耳を傾けよう。204の言葉にある‘ニルヴァーナ’の境地は、座禅と深い瞑想の結果得られるものだと思うが、男はまだそれを試す気にはなっていない。いよいよ最期が近づいたな、と思ったときそれを試そうと思う。

197 怨みをいだいている人々のあいだにあって怨むことなく、われらは大いに楽しく生きよう。怨みをもっている人々のあいだにあって怨むこと無く、われらは暮らしていこう。
198 悩める人々のあいだにあって、悩み無く、大いに楽しく生きよう。悩める人々のあいだにあって、悩みなく暮らそう。
199 貪(むさぼ)っている人々のあいだにあって、患(わずら)い無く、大いに楽しく生きよう。貪(むさぼ)っている人々のあいだにあって、貪らないで暮らそう。
200 われらは一物をも所有していない。大いに楽しく生きて行こう。光り輝く神々のように、喜びを食(は)む者となろう。
201 勝利からは怨みが起る。敗れた人は苦しんで臥(ふ)す。勝敗をすてて、やすらぎに帰した人は、安らかに臥す。
202 愛欲にひとしい火は存在しない。ばくちに負けるとしても、憎悪にひとしい不運は存在しない。
このかりそめの身にひとしい苦しみは存在しない。やすらぎにまさる楽しみは存在しない。
203 飢えは最大の病であり、形成された存在(=わが身)は最もひどい苦しみである。このことわりをあるがままに知ったならば、ニルヴァーナという最上の楽しみがある。
204 健康は最高の利得であり、満足は最上の宝である。信頼は最高の知己であり、ニルヴァーナは最上の楽しみである。