2010年2月13日土曜日

ブッダ「真理のことば」を学ぶ(22(20100213)

 ブッダ「真理のことば」第十四章を続ける。

190191 さとれる者(=仏)と真理のことわり(=法)と聖者の集い(=僧)とに帰依する人は、正しい知識をもって、四つの尊い真理を見る。すなわち(1)苦しみと、(2)苦しみの成り立ちと、苦しみの超克と、(4)苦しみの終滅(おわり)におもむく八つの尊い道(八聖道(はっしょうどう)とを(見る)。
192 これは安らかなよりどころである。これは最上のよりどころである。このよりどころにたよってあらゆる苦悩から免(まぬが)れる。

 訳注によれば、「「聖者の集い(=僧)」は、原語sanghaを音写して「僧」、「僧伽」という。五人もしくは五人以上の組織のある団体をいう。わが国で「一人の僧」などといって個々の僧侶をさしていうのは原義からの転用であって、この場合には適合しない。」とある。男は「僧」とは一人の僧でもそのように言うと思っていたが、五人または五人以上の(聖者の)団体でないと「僧」とは言わないのだということを初めて知った。「出家者」は「僧」ではないのだ。街で読経しながら乞食をしている人は「僧」ではないのだ。まして「一人の学問僧」などというのも間違っているのだ。「お坊さん」というならまだしも・・。

 「帰依」は「仏法僧」の三宝に対する帰依であって、真理を知るための準備段階である。「四つの尊い真理」は漢訳で「苦、集、滅、道」と示されている。「八聖道」は、①正しい見解(正見)、②正しい思い(正思)、③正しいことば(正語)、④正しい行為(正業)、⑤正しい生活(正命)、⑥正しい努力(正精進)、⑦正しい気づかい(正念)、⑧正しい心のおちつき(正定)である。『仏教の基礎知識』『仏教要語の基礎知識』(いずれも水野弘元著、春秋社刊)に詳しく書かれている。男は、「法」とはこの真理を分析し、再構築した体系であり、古来、多数の「聖者たち=僧」が説いた教え(=お経)であると理解する。

 男も女房も朝のNHK番組のホームドラマは面白くないのでこれが始まるとすぐ民放に切り替え、注目する放送があれば視聴し、なければスイッチを切ることにしている。今朝、東京の新葛飾病院の清水陽一院長のことが放映されていた。清水先生はこの病院を経営中大腸がんに罹り手術を受け、ご自分の死と向き合うことになった。それを契機に、患者・家族・人生の全体を考えるようになり、その患者さんの最期まで看るようになったという。

 男はこの先生はまさしくニルヴァーナの近くにおられるお方であると思った。素晴らしい!このようなことは、人の役に立つ技ももっていない男にはできないことである。男は子供の頃将来医者になりたいと思ったことがあった。来世ではきっと、と思う。
この病院は「あそこに入るとみな死ぬ。」と噂されていた病院であった由。清水先生が院長として請われこの病院にやってきて、その病院を地域の拠点病院にまで仕上げた。彼のスローガンは医療事故が起きても「①逃げない。②ごまかさない。③嘘をつかない。」をモットーにして誠実に対応しているので、これまで訴訟は起きたことがないという。