2010年2月18日木曜日

ブッダ「真理のことば」を学ぶ(27(20100218)

 男は昭和28年に中学校を卒業した。郷里の中学校の昭和28年卒業の同級生たちが別府の温泉で一泊する同級会を企画し、東京や千葉など遠くに住んでいる級友に声をかけ、47年ぶりに会うことになった。卒業以来一度も会ったことがない級友たちに会うかもしれない。

 実は50歳のとき7組まであった全クラスを通じての同級会が行われたことがあった。そのときは皆まだ若く生き生きとしていたが、今度は73歳になる。往時の女子生徒は白髪の婆さんになっているし、男子生徒は歯が抜けた爺さんも多いことだろう。幸い男はまだ全部親から貰った歯が残っている。歯科医が驚いて「うーン」とうなっていたほどである。

 男はANAマイレージカードのメンバーになっているので航空券はインターネットで購入する。同級会が行われる4月の航空券は半額以下の価格ほどの求めることができる。しかも座席指定もでき、インターネットで購入する場合に割引もある。空港で航空券を買う必要はなく、ゲートに入る時このカードを装置にかざすだけでよい。男の齢でそのようなことができる人はそう多くはいない。

 この便利さは、逆に損なこともある。郷里で法事があるため予め航空券を買っていたが、その数日前に親戚の人が亡くなったので葬式にも出なければならなくなった。そこで買っておいた航空券をキャンセルしなければならなくなり、キャンセル料を取られた。ところが女房が慢性疲労症候群のような状況になり、結局葬式にも法事にも出ることが出来なくなり、航空券と‘じゃらん’で予約していたホテル代も50%のキャンセル料を取られることになった。インターネットは便利で得することも多いが、損もすることもある。時間のスケールで見れば差引ゼロのようである。

 人生も同様である。同程度の人間はある時期羽振りがよくてもある時期に落ち込みがあり、時間軸で平均すると良くも悪くもない平凡な暮らしが続く者とたいして変わらず、皆ちょぼちょぼである。棺桶に片足を突っ込むとき、「よい人生だった」とにこっと笑える者は、ある時期、羽振りがよく、優越感を持っていた者よりも幸せである。

ブッダ「真理のことば」第十六章のつづき、

215 欲情から憂いが生じ、欲情から恐れが生じる。欲情を離れたならば、憂いは存しない。どうして恐れることがあろうか。

児童買春で捕まった60前の教師がいた。自分の娘のような女の子を弄び、自分の人生を台無しにした。家族もいるであろうに、妻や子供たちはどんなに嘆き悲しんでいることか。後悔先に立たずである。彼は家族はいない独身者かもしれないが・・。
しかし当の本人は捕まらないと思っていただろうし、そのような罪を犯す前に自分の行動にいろいろ理由をつけて正当化していたことだろう。しかしいろいろ理由を見つけて正当化しようとしても、元々無理なことなのである。件の教師はそのことに気がつかなかった。