2010年7月18日日曜日

ブッダ『感興のことば』を学ぶ(120) (20100718)


 梅雨が明けた。外は日差しが強く湿度も高い。わが家は周囲の窓を全開にすれば、周囲にわが家より高い構築物は無いので風は南に面した和室等の部屋から南から北に吹き抜ける。

 その和室の畳の上には藺草のござが敷き詰められている。一昨日近くのホームセンターで洗たく機の上部空間を有効利用できるように工夫されている組み立て式軽量ラックと一緒に買ってきたものである。

 このござは六帖敷きのものであるが非常に丁寧に造られていて品質が良い。折り目は縦に長く三つ折になっていて、折り目には化粧模様の布が縫い込んである。その縁が縦長であるので狭い部屋でも一層広く感じる。

 家の中を吹き抜ける風が心地よいのでその和室で昼寝をする。男は子供のころ夏の盛りに、当時の農家では習慣的であった昼寝の時間、風が吹き抜ける縁側で昼寝したときのことを思い出し、となりに寝そべっている女房に語りかけた。女房は自分が子供のころの経験を語る。「昼寝しているとアイスキャンデーを売りに来るおじさんがいてね、大きな入れ物をかかえて人数分のアイスキャンデーを買って、それに入れて持って帰ったわ、子供たちにはそのような楽しい思い出を沢山造ってあげたい」と言う。

 確かにこの都会地の子供たちはそのような楽しみが全くない。まだ小学校4、5年生ぐらいの女の子であった女房は昼寝の時間にアイスキャンデーを買うのが楽しみであったのだ。おじさんに大きな入れ物に人数分のアイスキャンデーを入れてもらって持ち帰り、家族皆で食べたことをこの齢になっても楽しく想い出されるので、子供にはできるだけ多くの楽しみを与えなければいけないと女房は言う。そのとおりだと思う。

 ちょっとうつらうつらして眼が覚める。女房が、昨日二男が手土産に持ってきたすももの冷やしたものを3個づつ皿に盛りもってくる。初め三つも食べられるかと思ったが、冷たいすももをかじると甘酸っぱい味と香りが口いっぱいに広がり、一挙に食べてしまった。

 子供の頃男の家にも女房の家にも庭先にすももの木があって、この時期それをもいで食べていた。当時それぞれの家の庭先には柿や枇杷や蜜柑などいろいろな果実が植えられていた。男の家には裏の竹藪の脇に肉桂(シナモン)の木があって、その根っこを切り取って手押しポンプでくみ上げる井戸水で洗って食べていた。そのような想い出は子たちにはさせることができなかった。その代わり子たちを川や海や山やプールなどに遊びによく連れていっていた。今同じようなことを子たちは自分の子供たちに経験させている。

 昨日、二男は自分たち夫婦の子育ての様子を語ってくれた。男は話を聞いて「よく育てている」思い、安心した。子たちが子供のころ、彼らは夕餉の食卓を囲み、先を争うように一日のできごとを母親である女房に語っていた。子育てで最も大事なことは親子の会話である。その習慣は子たちがまだ乳飲み子のころから母親である女房との間でできていた。

43 現世を望まず、来世をも望まず、欲求なくして、とらわれの無い人、かれをわれは(バラモン)という。