2010年7月21日水曜日

ブッダ『感興のことば』を学ぶ(123) (20100721)


横浜陶芸センターは本牧公園の近くにある。三渓園の裏で戦前は海だったところである。

辺りは公園として整備されていて陶芸センターに行く道は産業道路や高架高速道路と並行していて3メートルほどの広さの歩道が間門小学校角から本牧公園に向けて一直線に長く続いている。間門から本牧公園に向かって左側には松林、右側には銀杏並木があり、道の両側には両側に四季折々とまではゆかないがシランなどの花をつける草木が良く配置されて植えられている。この道はいつ通っても心が癒される道である。

以前海岸線の白い断崖であった場所の下には池があり、黄色や白の小さな可愛い花をつける睡蓮が一面に広がっている。

男は毎週一回この陶芸センターに通っていて手びねりで楕円形の皿を作り続けている。この種の皿は多目的で使える便利な皿で、ある時はライスカラー、ある時はスパゲッティー、ある時はお惣菜いれに使う皿である。同じものをいろいろやっているが、なかなか気に入るものが出来ない。皿の形状、釉薬などで随分変わった感じになる。

しかし少し明るい見通しである。一番初めに手びねりの教室で作ったものが一番気に入っている。土は赤2号、微妙な曲線の形状、内側に蚊帳を置いて白化粧し、呉須で若干の景色を作り、釉薬はミックスとする。今後作るものはきっと気に入ったものが完成するはずである。詩吟で世話になっている女性にお礼のため贈呈しようと思っている。

陶芸の帰り住宅街を通る。10歳ぐらいの男の子が玄関に入るなり「お母~さん!」と呼んでいる。思えば男は10歳のとき母を亡くした。男の女房は3歳のとき父を亡くした。二人ともそれぞれ祖父母に育てられた。その二人が夫婦になってもう50年近くになる。

先日つかこうへい氏ががんで他界した。遺書に「恥のある人生だった」という旨の文があったという。考えてみれば男にも幾つかの恥があり、幾つかの危険もあった。
未熟ゆえに恥があることをし、危険なことをしたにもかかわらずこの齢になるまで無事過ごしてくることができたのは、矢張り先祖のお陰、亡き母のお陰であると固く信じている。男は人生の役目を確実に果たすべく、これまで生かされてきたのだ。「あの世」に行くまでには役目をきちんと果たし終えねばならぬと思う。

女房には一切の恥など無いし、用心深くて危険なことをしこともない。女房はまるで聖観世音菩薩のようである。女房のそのような面は理解されないことがある。女房は常に相手の立場に立って真心を尽くしている。今はそんなことは無くなったが、以前は若い人に女房の思いが伝わらず、ある意味では無視されたこともあった。そときでも女房は一言も言わなかった。言えば相手が傷つくと思っていたからである。

49 一切の束縛の絆(きずな)を超え、驚き怖れることが無く、執着なく、よく行きし人、覚った人、かれをわれは(バラモン)という。

0 件のコメント: