2010年7月30日金曜日

伝統工芸から生まれた新技術(20100730)


NHKテレビで紹介されていたが京都の伝統工芸の美しい絵模様が入った陶器を作る時の技法を応用してセラミックコンデンサーを開発したある企業が世界一のシェアを誇っているということである。これは初め1000度の温度でセラミックのコアを作り、次にこのコアに金属が溶解しない低い温度で金属を接着して電子回路に多く使われているコンデンサーを作るのである。日本人の伝統工芸の技術と器用さがなければこの製品は完成しなかった。

また、細い線の型紙を作る技術も電子回路の導線を掘る技術に応用されている。組みひもの技術は炭素繊維の組み合わせ方で柔軟度がいろいろ違う素材を作り、堅いものは重量が極欄に軽くても金属以上のものが出来ている。このような素材は端的な例ではゴルフの棒に応用されている。自動車メーカーは衝突事故対処のため、その素材をドアの構造に応用しようと考えている。

京都工芸繊維大学では、日本の伝統工芸における匠の技を科学的に分析し、匠の技を学ぶ若い弟子たちが容易に匠の技を習得できるように研究している。その一方で、伝統工芸が新しいテクノロジーとして応用できないか研究している。

男は「やはり京都だ」と膝を叩く。平安時代400年間の重みを感じる。奈良の都、飛鳥の地、難波の大阪、日本の再生は関西からである。関西人に期待したい。

平成維新だとか、革命だとか、体の好い言葉で改革だとか叫んだ連中は大バカ者である。彼らは明治維新の志士ちとは大違いである。彼らには学歴はあっても教養がない。

明治維新の志士たちには‘武士道’という精神があった。‘勤皇’という筋が一本通った魂があった。日本の伝統や文化を重んじ、‘和魂洋才’の気概で富国強兵を推進した。学歴はなくても教養が高かった。

明治維新の志士たちは、何よりも腰に刀を差していた。日本刀は武士の魂であった。戦前、将校たちは刀を腰に下げていた。戦後、そのような日本の精神は、アメリカにより徹底的に破壊されてしまった。日本の男たちは外見は‘男’でも、中身は‘女’のようである。しかし、サッカーの選手たちは違う。彼らは日の丸を背負って戦った侍である。

古い歴史がある日本では、戦争に負けても伝統や文化や工芸が脈々として受け継がれてきた。しかし戦後急激な価値観の変化により日本の伝統や文化や工芸や歴史を軽んじてきた世代、概ね60代から70代の世代の人間が各方面のリーダーになっている。

天皇を軽んじる某政治家たちは中国に色目を使い、パフォーマンスを行い、この日本を危険な状態に陥れた。沖縄本島と宮古島の間の狭い幅の‘公海’を中国の潜水艦などが堂々と通過した。そればかりではなく、監視していたわが護衛艦に中国海軍のヘリコプターが急接近しカメラで護衛艦を撮影した。

こう言うと男は‘右翼’のメンバーのように見えるだろう。しかし違う。男は、市ヶ谷の陸上自衛隊東部方面総監室で、総監の前で割腹自殺を図った三島由紀夫を思い出す。今、日本人は改めて三島由紀夫の‘檄文’を読むべきであると思う。

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