2010年7月4日日曜日

ブッダ『感興のことば』を学ぶ(106) (20100704)


 NHKの連続テレビドラマ『龍馬伝』をたまに観る。ドラマの中で龍馬はもとより武市半平太、勝海舟、西郷隆盛など近代歴史上の人物が登場する。男は詩吟をやっていて、これらの人物が詩吟で詠う漢詩の題材になっているのを嬉しく思う。

 何が嬉しいかと言うと、もし自分が詩吟に全く縁のなかったならこれらの人物への親近感が薄いと思うが、詩吟をやってきたお陰でこれらの人物への親近感が一層濃いからである。

 武市半平太は土佐藩で郷士から上士身分に取り立てられたが藩主への忠義のあまり、藩論を尊王攘夷にさせ、反対派の吉田東洋の暗殺に関わり、結局藩主山内容堂により切腹させられた。享年37歳。後に明治政府により明治10年(1877年)名誉が回復され、後に坂本龍馬らとともに正四位が贈られている。

 武市半平太が牢獄で作った詞に次のものがある。

  獄中の作    武市半平太

花は清香に依って愛せられ 人は仁義を以って栄ゆ

幽囚何ぞ恥ずべけんや   只赤心の明らかなる有り

 今日(3日)、男は都内のある公共の施設で詩吟を教える日である。男は10年前からある詩吟のサークルを主宰していて月2回詩吟を教えている。7月に教える吟題は、今からおよそ1300年前19歳の時、留学生として第9次遣唐使船に乗って中国に渡り、中国で科挙という国家公務員採用試験に合格し、当時の中国・唐の玄宗皇帝に仕えていた阿倍仲麻呂が、30年経った頃故郷の父母を思って作った詩『無題』である。その詩は;

  無題     阿倍仲麻呂

義を慕う名空しく在り 忠を輸(いた)すも孝全からず

恩に報ゆる幾日も無し 国に帰るは定めて何れの年ぞ

 仲麻呂は日本への帰国を許され、藤原清河率いる遣唐使船の帰国の船に乗り帰国の途に着いたが、途中沖縄あたりで嵐に遭い難破し、漂流して今のベトナム中部に漂着した。その時生き残っていたのは清河や仲麻呂ら10数人であった。

 帰国の船団は4隻、人員は総員550名あまりであったが、日本に無事帰り着いたのは1隻のみであった。たまたまその1隻に奈良の唐招提寺を創った鑑真和上が乗っていた。

 清河や仲麻呂らは唐の都・長安(今の西安)に戻り、彼の地で没した。仲麻呂は72歳まで生きた。清河と唐の女性との間に出来た娘は日本に帰国したが父・清河に再会することはできなかった。清河や仲麻呂が日本に帰国できず唐に滞在している間に政変があり、玄宗皇帝が寵愛した絶世の美女・楊貴妃はやむなく死を賜わっている。実際は絞首刑で死んだ。

 ブッダ「感興のことば」第32章「修行僧」に書かれていることを読むと、男は到底修行僧のようにはなることができない。しかし、在家のまま修行僧の近づくことはできると思う。

23 慈しみに住し、仏の教えを喜ぶ修行僧は、堕落するおそれなく、ニルヴァーナの近くにいる。