2011年2月2日水曜日

武士道(続)(20110202)

 孟子は孔子やソクラテスよりおよそ100年後、紀元前372年~289年の人である。孟子はアリストテレスより10年ほど遅く生まれ、30年ほど遅く没している。

 武家の子弟はソクラテスのことは勿論知っていたわけではないが、新渡戸稲造は『武士道』という本の中で、昨日の記事に書いたように「知識は、人生における実際的な知識適用の行為と同一のものとみなされた。このソクラテス的教義は、‘知行合一’をたゆまず繰り返し説いた中国の思想家、王陽明をその最大の解説者として見出したのである」と言っている。つまり、江戸時代の日本人は西洋から遠く離れたこの島国にいながら、西欧人と同じような思考パターンを持っていたのである。『武士道』精神の中に、このような西欧人的思考パターンがあったことを、我々日本人は改めて思い致す必要がある。

 幕末から明治初期にかけての短い期間に、日本は西欧列強に伍する実力を持ち、未開の、と言えば語弊があるかもしれないが、朝鮮や清(当時の中国)を導き、これらの国々が西欧・ロシアの列強の餌食になるのを食い止めたのである。それは、そのようにしないと、この日本が特に南下を企むロシアに侵略される危険があったからである。

朝鮮や清国から多くの留学生たちが日本に近代化を学びに来ている。これらの国々は、日本を憎みつつも、特に朝鮮は日本のお陰で2000年間の中国の王朝による支配から脱することができ、鉄道・電気通信などのインフラが整備され、政治制度や教育制度が整備されたのである。日本は、先ず東アジアを、はっきり言えば白人の支配から解放したのである。

日本は国際連盟で「人種差別撤廃」の提議をし、議決させた。連盟脱退後日本は無謀にも戦線を拡大し、結果的に東南アジア諸国は欧米の植民地から解放された。日本は300万人以上の犠牲者を出し、戦争に敗れはしたが、結局は大東亜の解放という目的は達成した。

そのようなことが出来たのは、この日本で、武家の教養である「知行合一」の精神が、ただ単に武家の人びとだけではなく、百姓・町人に至る広範囲に広がっていたからである。

日本は、アメリカにとって危険な国であった。戦争が始まる前、アメリカのルーズベルト大統領は、はっきりそのように言った。日本が強くなれば、アメリカが「縄張り」として考えていた(今でもそう考えている)日本列島から台湾、フィリピンに至る「列島線」が脅かされる。そこで、アメリカは日本に罠を仕掛け、後に「Remember Pearl Harbor! (真珠湾を忘れるな!)」の合言葉を作った。少数の自国民を犠牲にして、多数のために富を勝ち取る。「アラモを忘れるな!」「メイン号を忘れるな!」と同じパターンである。

日本は原爆を2個も投下され、何10万人という人が一瞬のうちに死んだだけではなく、非常に多くの人々が思い後遺症で苦しんでいる。それでも日本は、‘西側’の主要な一員となることにより、今日の繁栄を築きあげることができた。それは、意識の上では忘れられてしまっているが、「武士道精神」と無関係ではないと思う。

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