2011年2月4日金曜日

武士道(続)(20110204)

 新渡戸稲造『武士道』によれば、武士道の基本原理について、フランスの学者、ド・ラ・マズリエールが16世紀の日本について、「インドや中国においてさえ、人間は主として精力や知能によって差異があるとされている。日本ではそれらの差異とともに、性格の独自性においても差異があるとされているようである。いまや個性はすぐれた種族や、発展した文明の特徴である。もしわれわれがニーチェの好んで用いる表現によるならば、‘アジアでは人間の性状を語ることはその平原を語ることである。日本ではヨーロッパと同様に、人間の性質はとりわけ、その山岳によって代表される’といえるだろう」と語っていることを引用している。

 古事記を読めばわかるとおり、日本人は古代の昔からヨーロッパ人同様個性的であった。ヨーロッパの中世のような暗黒的な社会は日本にはなかったが、ヨーロッパでルネッサンスがあった同じ時期に、日本では茶の湯、絵画、芸能、文芸などが花開いた。そしてヨーロッパよりも早く近世に入った。江戸時代は近世である。

 何故日本はそのようにあるのか。日本には万世一系の天皇がましまして、平安時代には摂関政治の形で天皇は国家の中心にあられ、既に象徴的存在となられた。日本には昔から八百万の神々がいて人びとの信仰の対象となっている。日本には神道と仏教がごく普遍的なものとして人びとの暮らしと密着している。私はそれら諸々の事が、日本がそのような国であることの非常に大きな要素であると思う。

 そのような日本の社会で秩序を保つ役割を担ったのが武士たちであった。人びとを支配者階層と被支配者階層に分けるならば武士は支配者階層に属するが、その身分は必ずしも100%世襲的、固定的ではなかった。「封建時代」という言葉の響きは、何か暗いイメージを与える。しかし実際は暗いものではない。「士農工商」という区分は一見上下関係のようであるが必ずしもそのとおりではない。日本の社会ではそれぞれの「役割」ということが最も重視されていた。「士農工商」は日本の社会を秩序づけるための「役割」にすぎない。日本の「士農工商」の区分は、インドのようなカースト制とは全く異質である。

 日本の社会の中で「武士」は「支配者」という「役割」を担っていた。その「役割」を果たすため、「武士」は社会の中で高い地位を与えられていた。高い地位を与えられているゆえに、「武士」は「役割」を果たす上で「義」を最も重要に考え、行動しなければならなかった。「武士」は日本の社会の中の「役割」の一つであったのである。しかし「士農工商」の各「役割」は、必ずしも100%世襲・固定的というわけではなかった。

 旧皇族・竹田家に生まれ、明治天皇の玄孫にあたる竹田恒泰氏が書いた本『日本はなぜ世界でいちばん人気があるのか』(PHP研究所発行)という本に、「日本は建国から現在までの二千年以上、一つの王朝を保ってきた。無価値なものは時間の流れの中で淘汰され、ほんとうに価値があるものが守られる」とある。

「義」は現在の日本の社会で価値を失っただろうか?このことについて考えてみたい。

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