2011年2月19日土曜日

武士道(続)(20110219)

 政治家は何か悪いことをする人たちだ、と小学校の子供たちが思っている。ある小学校でそういう子供たちの意識を改めさせようと、課外授業が行われた。子供たちに、それぞれ自分たちの身近にある問題を見つけさせ、それを解決するためのグループを結成させ、そのグループに‘党名’をつけさせ、自分たちが見つけた問題の解決のため、子供たちの‘○○党’としての活動を行わせた。その試みは成功だったようである。しかし、政治家に対する子供たちのマイナスのイメージや不信感はなかなか消えないだろう。

政治とカネの問題を引きずっている人たちは、現政権の崩壊または解散を念頭において活動を活発化させている。彼らは「国の為」という大義名分を掲げている。しかし、実際は「自分たちの利益の為」である。子供たちはまだその言葉を使うほど成長していないが、それは紛れもなく「私利私欲の為」である。

皇極4(645)、後の天智天皇、中大兄皇子は、「私利私欲の為」権力を行使していた蘇我入鹿を宮廷で討った。入鹿の父・蝦夷は自殺し、蘇我本宗家は滅亡した。当時、蘇我本宗家の長であった蝦夷は城廓のような屋敷を作り、その城廓内の自分の家を「上の宮門(みかど)」と名付け、入鹿の家を「谷の宮門」と名付け、宮廷内で権力をふるっていた。政治家の私利私欲を許すと、似たようなことが今の時代に起きるかもしれない。

既にある政治家が140人もの配下(全員国会議員)を引き連れ、某国の‘皇帝’に拝謁し、天皇に‘次期皇帝’に挨拶して頂こうと画策し、‘強い言葉’をマスメディアで流し、陛下は時の政府に求められるまま、その‘次期皇帝’に会われ、挨拶されたことがあった。そのことに怒った心ある今の時代の「武士」は、決して少なくはなかった。

新渡戸稲造は『武士道』第十章で、「武士は何を学び、どう己を磨いたか」「行動するサムライが追求した‘品性’とは何か」というサブタイトルを付けて、人が「武士」としてどのように育てられたか説明している。

 彼は「武士の訓育にあたって第一に必要とされたのは、その品性を高めることであった。そして明らかにそれとわかる思慮、知性、雄弁などは第二義的なものとされた。」「知能が優秀であることは勿論重んじられた。だが知性を意味するときに用いられる‘知’という漢字は、第一に叡智を意味し、知識は従属的な地位を与えられるにすぎなかった。」「武士道の訓育においては、その教科とされるものは主として剣術、弓術、‘柔術’もしくは‘やわら’、乗馬、槍術、戦略戦術、書、道徳、文学、そして歴史によって構成されていることは、驚くにあたらないだろう。」「武士道は損得勘定をとらない。むしろ足らざることを誇りにする。」と言っている。知能が高い宇宙人を「武士」にしてはいけなかったのだ。

 今の時代の「武士」、政治家として成長された菅総理は、損得勘定を一切せず「国の為」だけに行動すればよい。ご自分の考える新たなマニフェストの骨子を作り、過去のご自身の言動のうち誤っていたことについては率直に詫び、衆議院を解散して国民に信を問えばよい。そうすれば、「最大多数の最大幸福」への道が自ずと開かれるであろう。

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