2011年2月11日金曜日

武士道(続)(20110211)

 One Piece(ワンピース)という漫画が爆発的人気を呼んでいるそうである。その漫画で語られているのは、古き良き時代の日本の「絆」「助け合い」「義理」「人情」「正義」「勇気」などの精神であるということである。

 この漫画には、登場する人たちはお互い非常に強い絆で結ばれており、絆で結ばれた人たちの間ではお互い他者のために自己を犠牲にすることを厭わない、主人公は非力ながら果敢に「悪」に立ち向かってゆき、堅い絆で結ばれた仲間がこれを助ける、兄が弟を助けるために自ら犠牲になる、いったようなドラマが描かれているようである。

この漫画を研究したある学者は、今の日本の社会で「空気を読む」 ということがかえって人間関係を希薄にしているのだという。その場の「空気を読む」という言葉は、「その場で自分の行動をどうするかということを判断し、実際にその判断に基づいて行動する」という意味を含んでいる。それは愛他的ではなく利己的な行動である。

 この漫画の下敷きになっているのは、黒澤明監督の『七人の侍』などで表現される日本人の精神である。「義」の為に、「絆」の為に自分の命を犠牲にすることを厭わない精神である。それこそは正しく「武士道精神」である。

 今の日本の社会では孤独な主婦が多いという。空気を読んで「助けて」と声を出せず、独り悩んでいる主婦たち、自分は社会に無縁な存在であると思い込んでいる主婦たちが多いという。そのような主婦たちだけではなく、不景気で職を失った男性たちや、就職できずにいる学卒者たちも多いが、彼らは皆、自分が社会との絆がない、或いは薄いと思っているようである。漫画『ワンピース』はそのような社会を反映していて、孤独に悩むそれらの人々の共感を得ているのであろう。

 一世代、二世代上の人たちも、そのような主婦たち、男性たち、学卒者たちをそっと見やるだけで、自分の方から積極的に声をかけようとしない。この国の社会は、人間関係が薄れてしまっているように見える。

 幸福は向こうからは決してやって来ない。幸福はごく身近なところにある。自分自身がそれに気がついていないだけである。戦場で任務遂行のため身の危険も顧みず、或いは必ず死ぬことが判っていながら行動する兵士が不幸であろうか? 幕末に斬首や切腹の刑で死んだ尊王攘夷の志士・吉田松陰や武市半平太は不幸であっただろうか?

 空気を読む政治家には志など全くない。『ワンピース』が流行る社会現象は、この日本の精神が行き詰っている証拠である。日本人は、特に「武士」と同じような「役割」を担って報酬を与えられる人たちは、戦前まで営々と日本人が築いてきた精神を改めて見直し、良いものはすべて取り入れるということが必要である。三島由紀夫はそのことを訴えて、武士の作法に則り、見事切腹を果たしたのである。それを三島由紀夫の美学であるという人がいるが、それは断じて彼の美学ではないのである。

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