2011年2月6日日曜日

武士道(続)(20110206)

 熱心なキリスト教徒(クエーカー教徒)であった新渡戸稲造は、「義」の観念を、以下のとおり「ある高名な武士・林子平」と「他の武士・真木和泉守」及び孟子の言を引き合いに出して説明している。

 江戸中期の経世家・林子平(17381793 )は、「勇は義の相手にて裁断の事也。道理に任せて決定して猶予せざる心をいふ也。死すべき場にて死し、討つべき場にて討つ事也」と述べた。

また江戸末期の真木和泉守(18131864)は、「士の重んじることは節義なり。節義はたとへていはば人の体に骨ある如し。骨なければ首も正しく上に在ることを得ず。手も物を取ることを得ず。足も立つこと得ず。されば人は才能ありても学問ありても世に立つことを得ず。節義あれば武骨不調法にても士たるだけのことには事かかぬなり」と言った。

また、武家の子弟が学んだ孟子(紀元前372~紀元前289)は、「仁は人の安宅なり、義は人の正路なり」と言った。

新渡戸稲造は、「義理」は「疑いも無く義務である」と言い、義務がわずらわしく感ぜられるときには「正義の道理」が私たちの怠惰を防ぐためにのりこんでくる、と言う。そして、「義理」は、「人間がつくりあげた慣習の前にしばしば自然な情愛が席を譲らなければならぬような社会で生まれるものである」が、もしそれが「正義の道理」からはるか別のところへ持ち運ばれてしまった場合は、もはやそれは義理ではなく、「驚くべき言葉の誤用である」という。

私は、武士の「義」は時代が変わっても変わらぬ観念であるが、「義理」の観念は時代が変われば変わると思う。たとえば、戦前、老親をどんなことがあっても子供が看ることは「義理」を果たすことであったが、今は、介護保険制度や医療保険制度などで子供だけではなく、社会全体で看るようになった。たとえば幼い時から親子の情愛が薄い関係であった場合、子供が老親に世間体に恥じない程度に看ている場合は、戦前ほど「義理」について責め立てられることなくなっているだろう。

しかし私は、時代が変わっても今の時代に昔の武士と同じ立場、すなわち政治家や官僚や軍人などは、林子平や真木和泉守が言っているような「義」「節義」の観念をしっかりと持って欲しいと思う。そうでなくては、この国が外国から軽く見られてしまうと思う。

私は、この日本が、象徴天皇を崇敬し、今の時代の「武士」たちが、しっかりとした「義」の観念を持っている国ならば、日本は世界から尊敬され続ける国となると確信している。

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