2011年2月15日火曜日

武士道(続)(20110215)

 第七章「誠」――なぜ「武士に二言はない」のか――。「真のサムライは「誠」に高い敬意を払う」。新渡戸稲造は、そのように言っている。

 「武士」の立場にあった元総理は、「Trust me(私を信じてくれ)」と言って、二言になることを恥じ、総理の座から降りた。今、「武士」の立場にある菅総理も、「二言」に苦しんでいる。この日本国の経営のため、菅政権は国会で来年度予算案を何とか通して、関連法案の一部も何とか通して、国民との約束において「二言」無きようにするため、改めて国民に信を問うしかないだろう。

 新渡戸稲造の『武士道』という本に、「武士の言葉は重みをもっているとされていたので、約束はおおむね証文無しで決められ、かつ実行された。むしろ証文は武士の体面にかかわるものと考えられていた。‘二言’つまり二枚舌のために死をもって罪を償った武士の壮絶な物語が数多く語られた。‘誓うなかれ’というキリストの明らかな教えを絶えまなく破っている大方のキリスト教徒とちがって、真のサムライは誠に対して非常に高い敬意を払っていた。そのため、誓いをすることをみずからの名誉を傷つけるものと考えていた」と書かれている。

 民主党のマニフェストには、ともかく政権を取る目的のため、実現困難、または不可能、または実施することが必ずしも国民のため、日本国のためにならぬことが書かれている。マニフェストは選挙民に対する公の約束である。約束した以上、何としてでも約束を果たそうとするのは、「武士」的である。しかし、民主党は、その「約束」をしたとき、「誠」の精神があっただろうか? 「とにかく政権をとればよい、言い換えれば‘とにかく儲ければよい’」というような「商人根性」があったのではないか?

 日本国民は、この2年間で非常に良い経験をした。経験は最良の学習である。今、野党の自民党、公明党などは民主党の失敗の経験から学び、旧弊から脱出しなければ日本国民にとって不幸である。

 政治家や官僚や「官」とつく職名の公務員などは、今の時代の「武士」である。「武士」は新しい「武士道精神」を持たなければならない。新しい「武士道精神は何か」、昔の武士たちが思索しながら「武士道精神」を身につけていったように、今の時代の「武士」は、先ず、新渡戸稲造の『武士道』から学び始め、思索を進めて行ったらよいと思う。

 イタリア人のザッケローニ監督が「武士道について学びたい」と言っているのに、日本人自身が「武士道」につて表面的なことだけしか知らなのは情けない。少なくとも、今の時代の「武士」の立場にある者は、「武士道」精神について真剣に学んで欲しいと思う。
 今の時代の「武士」たちが、「武士道」精神を身につけるようになれば、「武」の重要性も体得的に理解することができ、ロシアも中国も日本を軽く見下すような態度を取ることは出来なくなるだろう。『武士道』にこそ日本再生の道があるのだ!

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