2011年2月24日木曜日

武士道(続)(20110224)

 新渡戸稲造は『武士道』第11章を「克己の理想とは、日本人の表現方法によれば、心の安らかさを保つことである。・・(中略)・・克己は次の章で考察する二つの制度、すなわち自殺と仇討の制度のうち、前者においてその極致が達せられ、かつもっともよくあらわれている」という言葉で締めくくっている。

 近年、我が国においては自殺者が毎年3万人以上いる。人口比でみる自殺率はアメリカの2倍で、世界でトップクラスという不名誉な数字である。政府も自殺防止のためいろいろ手を打っているが、成果は上がっていない。

 さて、その次の章・第12章は「切腹」というタイトルで、「生きる勇気、死ぬ勇気」というサブタイトルがついている。新渡戸稲造はソクラテスや、シェイクスピアの「悲劇」に登場するブルータスなど古代ギリシャ・ローマ時代の人物などを引き合いに出して、自殺と切腹の違いを強調し、「今や、読者の皆さんには、切腹が単なる自殺の一手段ではない、ということを理解していただけたであろう。切腹は一つの法制度であり、同時に儀式典礼であった。中世に発明された切腹とは、武士がみずからの罪を償い、過去を謝罪し、不名誉を免れ、朋友を救い、みずからの誠実さを証明する方法であった」と言っている。

 三島由紀夫は、自ら「武士」を演じ、日本人の精神の復興を願い、陸上自衛隊東部方面総監室で、益田総監の前で武士の作法に則り切腹した。介錯をした人が三島の首を一刀のもと離すことができず、益田総監から叱声があったらしい。

 彼が遺した檄文の一節に「われわれは戦後の日本が、経済的繁栄にうつつを抜かし、国の大本を忘れ、国民精神を失い、本を正さずして末に走り、その場しのぎと偽善に陥り、自ら魂の空白状態へ落ち込んでゆくのを見た。政治は矛盾の糊塗、自己の保身、権力欲、偽善にのみ捧げられ、国家百年の大計は外国に委ね、敗戦の汚辱は払拭されずにただごまかされ、日本人自ら日本の歴史と伝統を汚してゆくのを、歯噛みをしながら見ていなければならなかった」とある。我が国は、未だ彼が嘆いたような状況にある!

 新渡戸稲造は、切腹の実例を長い文章で紹介している。その部分を、明日以降全文引用しようと思う。その趣旨は、カミカゼ特別攻撃が多くの無実の人々を道連れにするテロリストの自爆攻撃、特に9.11テロとは全く同列でないということを、一日本人として世界に訴えたいし、日本は先の戦争に敗れてアメリカの良いところは吸収したが、日本人の心の深奥において決してアメリカナイズされてはいなかったことを主張したかったし、「日本は(アメリカによって)変わったのだから、イラクも変わる」というようなことを、かつてアメリカの某氏が日本との比較において言ったことに反発しているからである。

その一方で、我々日本人自身も目覚めなければならないと、たかが一無名の個人としてではあるが、叫びたいからである。特に一部の「政局」好き、「自己勢力拡大志向」の政治家たちには憤りを感じている。彼らは公言とは裏腹に、真に国のことを考えて行動してはいない。そういう諸々の動機で新渡戸稲造の全文を、明日以降引用するのである。 

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